セオドラ・ティス・エラザス (1906-1969)とは? わかりやすく解説

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セオドラ・ティス・エラザス (1906-1969)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 07:14 UTC 版)

セオドラ・ティス・エラザス
Θεοδώρα της Ελλάδας
グリクシンブルグ家
セオドラ(1928年)

称号 バーデン辺境伯夫人
出生 (1906-05-30) 1906年5月30日
ギリシャ王国コルフ島
死去 (1969-10-16) 1969年10月16日(63歳没)
西ドイツヘッセン州ビューディンゲン
配偶者 ベルトルト・フォン・バーデン
子女 マルガリータ
マクシミリアン・アンドレアス
ルートヴィヒ
父親 アンドレアス・ティス・エラザス
母親 アリス・オブ・バッテンバーグ
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セオドラ・ティス・エラザス・ケ・ザニアスギリシャ語: Θεοδώρα της Ελλάδας και Δανίας, 1906年5月30日 - 1969年10月16日)は、ギリシャの王族。ゲオルギオス1世の孫娘の1人。ギリシャ王女およびデンマーク王女。ドイツバーデン辺境伯ベルトルトと結婚した。

生涯

1908年。後列左:マリア皇女(ロシア)、後列右:アナスタシア皇女(ロシア)、前列左:マルガリタ王女、前列右:セオドラ王女
1910年、セオドラ

セオドラはゲオルギオス1世の四男アンドレアス王子とその妻アリス・オブ・バッテンバーグの次女、第2子として、ギリシャのコルフ島で生まれた。母方の祖父はイギリスに帰化したドイツ貴族である初代ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンである。弟のフィリッポスは、イギリス女王エリザベス2世と結婚してエディンバラ公を名乗っている。3人の姉妹、マルガリタ(ホーエンローエ=ランゲンブルク侯夫人)、セシリア(ヘッセン大公世子妃)、ソフィア(ヘッセン公子妃、ハノーファー王子妃)は、セオドラと同様にドイツの王侯貴族に嫁いだ。 セオドラは家族内では「ドーラ(Dora)」の愛称で呼ばれた。

1931年8月17日、セオドラはバーデン辺境伯ベルトルトと結婚した。ベルトルトは最後のドイツ帝国宰相でバーデン大公家家長のマクシミリアン・フォン・バーデンの長男で、2人は又従兄妹同士であった(ともにデンマーク国王クリスチャン9世の曾孫にあたる)。辺境伯夫妻は3人の子女をもうけた。1969年、西ドイツのビューディンゲンで亡くなった。

子女

脚注

  1. ^ オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベト夫妻の孫フーベルト・ザルヴァトール大公の娘

関連項目

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