スタディオン_(パラティヌス)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > スタディオン_(パラティヌス)の意味・解説 

スタディオン (パラティヌス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 06:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
スタディオン
Stadion
(Hippodromus)
所在地 古代ローマ, 首都ローマ
建設時期 81年 〜 92年
建設者 帝政ローマ
建築様式 庭園 or 競技場
関連項目 ローマの古代遺跡一覧

スタディオンラテン語: Stadion)は、イタリア ローマパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にある帝政ローマ期の宮殿内の庭園または競技施設跡。ドミティアヌスのヒッポドロームと表記されることもある。

概要

ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスが、東側に隣接するドムス・フラウィアドムス・アウグスターナと同時期に建てた施設である。ネロ帝以降に建てられた建物群を撤去した跡に建てられた。スタディオンは、ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に建設された。

スタディオンの建築材であるレンガの大部分にはドミティアヌス帝時代の刻印がされているが、入口部分はハドリアヌス帝時代に、またエクセドラ部分はセプティミウス・セウェルス帝時代に改修されたものである。広場の南半分の地面に楕円形の建物跡が現在でも残っているが、これは東ゴート王国の初代国王テオドリックの時代に造られたアンフィテアトルム(円形闘技場)の跡である。

古代ローマの博物学者小プリニウスによれば、スタディオンは競技場ではなく皇帝の私庭(庭園)として使われていたようである。3世紀末の殉教者である聖セバスティアヌスによれば、キリスト教信者の迫害(Acts of the Martyrs)のまさにその場所であると表現している。

関連項目

平面図

パラティヌスの中心部付近
ドムス・アウグスターナ

E:入口, P2:ペリスティリウム(列柱郭), P3:池のあるペリスティリウム(列柱郭), Co:噴水のある半地下の庭, Ex:大エクセドラ

ドムス・フラウィア

A:アウラ・レギア, B:バシリカ, L:ララリウム, Po:ポルチコ, P1:噴水のあるペリスティリウム(列柱郭), C:トリクリニウム

スタディオン

S:スタディオン

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スタディオン_(パラティヌス)」の関連用語

スタディオン_(パラティヌス)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スタディオン_(パラティヌス)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスタディオン (パラティヌス) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS