スコーバレーオリンピック出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 00:34 UTC 版)
「猪谷千春」の記事における「スコーバレーオリンピック出場」の解説
1957年、猪谷はダートマス大学を卒業する。その後も猪谷は競技を続け、1958年にオーストリアのバート・ガスタインで開催されたアルペンスキー世界選手権では、回転で銅メダル獲得、大回転で6位入賞、複合で4位入賞という成績を残した。 猪谷はその後の1959年、支援者スターの縁でAmerican International Underwriters(AIU)に入社し、スキー競技からは引退することを決意した。しかし周囲の強い勧めもあり、また金メダルを獲得していないという心残りから、猪谷は競技人生の最後に1960年のスコーバレーオリンピックに出場することとした。金メダルを獲得すべく普段よりも大胆なレース運びをしたことが裏目に出た形となり、自分のペースを崩してしまったが、滑降で34位、回転で12位、大回転で23位という成績を残した。
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