ジョン・ジャクソン_(画家)とは? わかりやすく解説

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ジョン・ジャクソン (画家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 07:57 UTC 版)

ジョン・ジャクソン
John Jackson
自画像 (c.1823)
生誕 (1778-05-31) 1778年5月31日
イギリス、ラスティンガム(Lastingham)
死没 1831年6月1日(1831-06-01)(53歳没)
イギリス、ロンドン
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ジョン・ジャクソン(John Jackson RA、1778年5月31日 - 1831年6月1日)は、イギリスの肖像画家である。有力者や芸術家の肖像画を描いた。

略歴

ノースヨークシャー州のラスティンガム(Lastingham)で仕立て屋の息子に生まれた。父親のもとで縫製を学び、父親は画家になることに反対したが、ヨークシャー州選出の庶民院議員であったマルグレイヴ伯爵ヘンリー・フィップスに絵の才能を認められ、支援を受け、カーライル伯爵やボーモント男爵に紹介し、ボーモント男爵は自分の邸に住まわせ、報酬を与えた。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校で学ぶことができ、美術学校ではデイヴィッド・ウィルキー(1785-1841)やベンジャミン・ヘイドン(1786-1846)と友人になった。カーライル伯爵の住むカースル・ハワードにある美術品コレクションを研究し、模写して修行した[1]

1807年までに肖像画家としての評判が高まり、水彩から油彩を用いて肖像画を描いた。1816年にマルグレイヴ伯爵の甥の弁護士のエドマンド・フィップスと共にオランダとフランドルを訪れ、1819年には彫刻家のフランシス・レガット・チャントリーとスイス、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアを旅した。ローマのアカデミア・ディ・サン・ルカの会員に選出された。この旅で描いたローマの彫刻家のアントニオ・カノーヴァの肖像画は代表作とされている[1]

多くの肖像画を描き、有名な肖像画のトーマス・ローレンス(1769-1830)やヘンリー・レイバーン(1756-1823)の影響が示されている[2]。肖像画を描いた人物には、軍人のウェリントン公爵や、極地探検家のジョン・フランクリン卿、有名な牧師たちが含まれていた[3]

1815年11月にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれ、1817年に正会員に選ばれた[4]

ジャクソンは2回結婚し、1808年に宝石商の娘と結婚し、1818年8月に画家ジェームズ・ウォードの娘と結婚した。1831年にロンドンのセントジョンズウッド(St John's Wood)で亡くなった.[1][5]

作品

参考文献




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