ジャン=バティスト・レシェノー・ド・ラ・トゥールとは? わかりやすく解説

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ジャン=バティスト・レシェノー・ド・ラ・トゥール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 14:38 UTC 版)

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Jean Baptiste Leschenault de la Tour.

ジャン=バティスト・レシェノー・ド・ラ・トゥール(Jean-Baptiste Louis Claude Théodore Leschenault de La Tour、1773年11月13日 - 1826年3月14日)はフランスの植物学者、鳥類学者である。

略歴

シャロン=シュル=ソーヌに生まれた[1]ディジョンの判事であった父親の死の後、1798年にパリに出た。1800年から1803年まで行われた、ニコラ・ボーダンが指揮するオーストラリア沿岸を調査する探検隊の植物学者に選ばれた。1801年と1802年に多くの植物を集めたが、ボーダンは庭師出身の少年、Antoine Guichenotと比較してその働きを低く評価していた[2]。1803年4月に病気のため、ティモールで帰国する探検艦隊から離れ、その後の3年間はジャワ島で過ごし、ジャワ島の植物を調査した。それまで、ジャワ島の植物はカール・ツンベルクが短期間訪れて調査しただけで、レシェノーによって初めて本格的な調査が行われた。1807年7月に植物と多くの鳥類の標本をもって帰国した。鳥類の標本については動物学者のジョルジュ・キュヴィエが研究した。

ナポレオン戦争が終わった後、1816年5月に植物収集のためにインドに渡り、インド東海岸のポンディシェリに植物園を開いた。イギリスの許可を得て、マドラスベンガルセイロンを旅し、多くの有用植物や種子を栽培試験のためにレユニオン島に送った。それらの中には2種のサトウキビや6種の綿花などがあった。1822年にフランスに帰国し、レジオンドヌール勲章を受勲した。

帰国後まもなく、南米に渡り、ブラジルスリナムフランス領ギアナを旅し、カイエンヌに茶の栽培を導入した。病気のため8ヶ月の滞在で帰国せねばならなかった。

レシェノー自身の著作は少ないが、収集した植物はその後、エメ・ボンプランルネ・デフォンテーヌアントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュージャック=ジュリアン・ラビヤルディエールエティエンヌ・ピエール・ヴァントナらによって研究された。

オオメダイチドリCharadrius leschenaultii)など多くの鳥類の種に献名されている[3]クサトベラ科の植物の属名、レケナウルティアLechenaultia、命名者が"s"を抜かした形で発表したとされる)もレシェノーに献名された。

参考文献

  1. ^ Council of Heads of Australasian Herbaria: Biography: Leschenault de la Tour, Jean B.C.T. (1773 - 1826).
  2. ^ Nelson, E. Charles (1976). “Antoine Guichenot and Adenanthos (Proteaceae) specimens collected during Baudin's Australian Expedition, 1801-1803”. Journal of the Society for the Bibliography of Natural History 8 (1): 1–10. doi:10.3366/jsbnh.1976.8.PART_1.1. ISSN 0260-9541. 
  3. ^ Beolens B, Watkins M, Grayson M. 2011. The Eponym Dictionary of Reptiles. Baltimore: Johns Hopkins University Press. xiii + 296 pp. ISBN 978-1-4214-0135-5. ("Leschenault", p. 156).



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