ジャヤッパージー・ラーオ・シンディア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/26 16:19 UTC 版)
ジャヤッパージー・ラーオ・シンディア Jayappaji Rao Scindia |
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シンディア家当主 | |
在位 | 1745年 - 1755年 |
戴冠 | 1745年 |
別号 | サルダール |
出生 | 1720年頃 |
死去 | 1755年7月25日 ラージャスターン、ナーガウル |
子女 | ジャンコージー・ラーオ・シンディア |
王家 | シンディア家 |
父親 | ラーノージー・ラーオ・シンディア |
宗教 | ヒンドゥー教 |
ジャヤッパージー・ラーオ・シンディア(Jayappaji Rao Scindia, 1720年頃 - 1755年7月25日)は、インドのマラーター同盟、シンディア家の当主(在位:1745年 - 1755年)。ジャヤッパ・ダーダー・サーヒブ(Jayappa Dada Sahib)とも呼ばれる[1]。
生涯
1720年頃、シンディア家の当主ラーノージー・ラーオ・シンディアの長男として生まれた[2]。
1745年7月19日、ラーノージー・ラーオが死亡したことにより、当主位を継承した[3]。
ジャヤッパージー・ラーオは父の領土拡大政策を継承し、マールワーに勢力を拡大したのちはナルマダー川を越えて、ラージプート諸王国の割拠するラージャスターンにまで進撃した。
しかし、1755年7月25日にマールワール王国の領土ナーガウルを攻撃した際、マールワール王ヴィジャイ・シングの家臣2人によって、その城壁付近で殺害された[4]。
出典・脚注
関連項目
- シンディア家
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