ラーノージー・ラーオ・シンディアとは? わかりやすく解説

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ラーノージー・ラーオ・シンディア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/21 15:58 UTC 版)

ラーノージー・ラーオ・シンディア
Ranoji Rao Scindia
シンディア家当主
ラーノージー・ラーオ・シンディア
在位 1731年 - 1745年
別号 サルダール
出生 不詳
死去 1745年7月19日
シュジャールプル
子女 ジャヤッパージー・ラーオ・シンディア
ダッタージー・ラーオ・シンディア
ジョーティバー・ラーオ・シンディア
トゥコージー・ラーオ・シンディア
マハーダージー・シンディア
王家 シンディア家
宗教 ヒンドゥー教
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ラーノージー・ラーオ・シンディア(Ranoji Rao Scindia, 生年不詳 - 1745年7月19日)は、インドマラーター同盟シンディア家の当主(在位:1731年 - 1745年)[1]

生涯

ラーノージー・ラーオはもともと、マラーター王国の首都サーターラー付近のパティールであったが、その家系自体はバフマニー朝以来続く名家であった。

1723年、マラーター王国の宰相バージー・ラーオマールワー地方に遠征した際、その武将として随行し、指揮官として務めた。

1731年にはウッジャインに拠点に独自の勢力を保持するに至り、宰相から貢納を贈るかわりに、サルダールとしてその領土の世襲を認められた[2]

1745年7月19日、ラーノージー・ラーオは死亡し、息子のジャヤッパージー・ラーオ・シンディアが当主位を継承した[3]

家族

ラーノージー・ラーオは2人の妻との間に、ジャヤッパージー・ラーオ・シンディア、 ダッタージー・ラーオ・シンディアジョーティバー・ラーオ・シンディアトゥコージー・ラーオ・シンディアマハーダージー・シンディアといった5人の息子に恵まれた。

しかし、1761年までにマハーダージー以外は皆死亡しており、1827年にマハーダージーの養子でラーノージー・ラーオの曾孫にあたるダウラト・ラーオ・シンディアが死亡した時点で、その血脈は途絶えるところとなり、当主位は傍系へと移った。

出典・脚注

関連項目




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