シャルル2世_(エルブフ公)とは? わかりやすく解説

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シャルル2世 (エルブフ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 15:50 UTC 版)

シャルル2世・ド・ロレーヌ=ギーズ
Charles II de Lorraine-Guise
エルブフ公
在位 1605年 - 1657年

出生 (1596-11-05) 1596年11月5日
フランス王国パリ
死去 (1657-11-05) 1657年11月5日(61歳没)
フランス王国パリ
配偶者 カトリーヌ・アンリエット・ド・ブルボン
子女 一覧参照
家名 ギーズ家
父親 エルブフ公シャルル1世
母親 マルグリット・ド・シャボー
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シャルル2世・ド・ロレーヌ=ギーズCharles II de Guise-Lorraine, duc d'Elbeuf, 1596年11月5日 - 1657年11月5日)は、フランスの貴族、廷臣。エルブフ公爵。フランス王ルイ13世の義兄にあたる。

生涯

エルブフ公シャルル1世とその妻のマルグリット・ド・シャボーの間の長男として生まれ、1605年にエルブフ公爵家の当主となった[1]1607年に宮廷に入って幼王ルイ13世の遊び相手を務めた。その後、少将および王室侍従長となる。1619年6月20日にルイ13世の異母姉でアンリ4世ガブリエル・デストレに産ませた庶出の娘カトリーヌ・アンリエット・ド・ブルボン(ヴァンドーム姫)と結婚し、ルイ13世の義兄となった。

シャルル2世はルイ13世に対して常に忠実であり、国王と王母マリー・ド・メディシスユグノーの争いにおいていつも国王を支持し続けた。1620年にマリーを支持するノルマンディー知事のロングヴィル公アンリが国王とリシュリュー枢機卿に対して反乱を起こした際、アンリに代わりノルマンディー知事に任命、ピカルディー知事も務めた。ユグノーの反乱では1627年ラ・ロシェル包囲戦に参加し、サン=ジャン=ダンジェリでの戦闘で負傷している。1657年にパリで死去。

子女

妻カトリーヌとの間に4男2女の6人の子女をもうけた。

  • シャルル(1620年 - 1692年) - エルブフ公
  • アンリ(1622年 - 1648年) - オンブリエル修道院長
  • フランソワ・ルイ(1623年 - 1694年) - アルクール伯
  • フランソワ・マリー(1624年 - 1694年) - リルボンヌ公
  • カトリーヌ(1626年 - 1645年)
  • マリー・マルグリット(1629年 - 1679年)

脚注

  1. ^ Miroslav Marek (2005年3月30日). “Charles II, Duc d'Elboeuf”. Genealogy Index. 2012年4月10日閲覧。
先代:
シャルル1世
エルブフ公
1605年 - 1657年
次代:
シャルル3世



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