シャフリヤール_(ムガル皇子)とは? わかりやすく解説

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シャフリヤール (ムガル皇子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 19:10 UTC 版)

シャフリヤール
Shahriyar
ムガル帝国皇子
シャフリヤール

出生 1596年
死去 1628年1月23日
ラホール
配偶者 ラードリー・ベーグム
父親 ジャハーンギール
宗教 イスラーム教スンナ派
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シャフリヤール(Shahriyar, 1596年 - 1628年2月2日)は、北インドムガル帝国の第4代皇帝ジャハーンギールの5男。同国第5代皇帝シャー・ジャハーンの弟にあたる。

生涯

1596年ムガル帝国の皇帝ジャハーンギールとその側室との間に生まれる[1]

1621年4月、父帝ジャハーンギールの妃ヌール・ジャハーンの娘ラードリー・ベーグムと結婚した[1][2]

1627年10月、シャフリヤールは父帝が死ぬとラホールで帝位を宣したが、ヌール・ジャハーンの弟アーサフ・ハーンによって捕えられてしまった[1][3]

1628年2月2日(旧暦1月22日)、シャー・ジャハーンの命により、シャフリヤールは他の皇族4人とともに処刑された[1][3]

脚注

  1. ^ a b c d Delhi 5
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.215
  3. ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.216

参考文献

  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 
  • アンドレ・クロー 著、杉村裕史 訳『ムガル帝国の興亡』法政大学出版局、2001年。 
  • 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年。 

関連項目




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