サヴォイア伯妃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 10:06 UTC 版)
「クレメンティア・フォン・ツェーリンゲン」の記事における「サヴォイア伯妃」の解説
クレメンティアは離婚から2年後に、サヴォイア伯ウンベルト3世の3度目の妃となった。ウンベルト3世の最初の妃は若くして死去、2番目の妃とは離婚し、その後ウンベルト3世はカルトゥジオ会の修道士となった。しかし、サヴォイアの貴族や市民がウンベルト3世にもう一度結婚するよう頼みこみ、渋々ウンベルト3世はクレメンティアと結婚した。 クレメンティアとウンベルト3世の間には2女が生まれた。 ソフィア(1165年 - 1202年) - アッツォ6世・デステと結婚 アリーチェ(1166年 - 1178年) - 後のイングランド王ジョンと婚約 クレメンティアは1175年に夫ウンベルト3世に先立って死去した。クレメンティアの死後、ウンベルト3世は再び修道士としての生活に戻ろうとしたが、最後にベアトリス・ド・ヴィエノワと4度目の結婚をさせられ、待望の嗣子トンマーゾ1世をもうけた。
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