サラ人
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 07:53 UTC 版)
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サラ人の女性
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総人口 | |
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最大600万人 | |
居住地域 | |
チャド、中央アフリカ共和国、南スーダン | |
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5,311,303人 (30.5%)[1] |
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423,281人 (7.9%)[2] |
言語 | |
サラ語、フランス語 | |
宗教 | |
キリスト教、アニミズム、イスラーム | |
関連する民族 | |
ビララ人などの中央スーダン諸民族 |

サラ人 (Sara) は、中部アフリカのチャド南部、中央アフリカ共和国北西部、南スーダン南部国境地域に分布する民族[4]。中央スーダン諸語に属するサラ語を使用する[5]。チャドでは最大の民族である[6][7]。
宗教的には大部分が自然を崇拝するアニミズムだが、キリスト教やイスラームへの改宗も進んでいる[8]。社会は父系のいくつかの氏族よりなる。かつては単一の言語、アイデンティティ、宗教からなる政治体を有していた。
国別の概要
チャド

チャドでは最大の民族集団で、特にモワイヤン・シャリ州、ロゴン・オリエンタル州、ロゴン・オクシデンタル州、それにタンジレ州の一部地域に集中している。かつては北方のフラニ人やアラブ人の襲撃にさらされてきた[8][9][10]。そうしたムスリムはサラ人を、ムスリムでない人間を意味するキルディ (Kirdi) と呼び、それに対して自らをバギルミ (Bagirmi) と称した。キルディとバギルミの争いは19世紀を通して続いた[11][12]。
20世紀にはいるとフランス領赤道アフリカの統治下に置かれ、フランス語による教育や訓練を受ける一方、二度の世界大戦中には徴兵や徴用の形でフランス軍に協力させられた[11]。1960年のチャド独立までに、国内の北部の人々よりフランスの諸制度に慣れ親しんでいたため、独立後は国政を支配することとなった[11]。
中央アフリカ共和国
中央アフリカ共和国では総人口の10パーセントを占め、国内第4の民族となっている。主に国の北西部に分布する。
遺伝的特性
古典的な遺伝子検査では、エリトリアのクナマ族が最も近縁という結果が出ている。両者の言語は、ともにナイル・サハラ語族に属する。近隣のクシ語派やエチオピア・セム諸語系の言語を使用する民族とも近しいが、遺伝学的には分かれている[13]。
著名なサラ人
- ソステン・モゲナラ - ドイツの陸上競技選手
- フィデル・ムンガール - チャドの元首相(在任:1993年)
- ノエル・ミラルー・オディンガル - チャドの軍人。1975年のクーデターに加わった
- カルトゥマ・ンゲンバン - チャドの政治家。1968年の総選挙で、女性としてただひとり当選
- フランソワ・トンバルバイ - チャドの初代大統領
- ヤフェット・エンドラム - チャドの元サッカー選手
- アンジュ=フェリクス・パタセ - 中央アフリカ共和国の元大統領(在任:1993年 - 2003年)
- マルタン・ジゲレ - 中央アフリカ共和国の元首相(在任:2001年 - 2003年)[14]
脚注
- ^ “Chad”. 2019年4月3日閲覧。
- ^ “Central African Republic”. 2019年4月3日閲覧。
- ^ Mario Zamora et al (1981), Image and Reality in African Interethnic Relations: The Fulbe and their Neighbors, US Department of Education, pages 136-137, 162-167
- ^ Sara people, Encyclopædia Britannica
- ^ Sara languages, Ethnologue
- ^ Chad: Society and People, CIA Factbook, US Government
- ^ Christine Zuchora-Walske (2009). Chad in Pictures. Twenty-First Century. p. 47. ISBN 978-1-57505-956-3
- ^ a b c James Stuart Olson (1996). The Peoples of Africa: An Ethnohistorical Dictionary. Greenwood. p. 510. ISBN 978-0-313-27918-8
- ^ M. J. Azevedo (2005). The Roots of Violence: A History of War in Chad. Routledge. pp. 10–11. ISBN 978-1-135-30080-7
- ^ Kevin Shillington (2013). Encyclopedia of African History 3-Volume Set. Routledge. p. 228. ISBN 978-1-135-45670-2
- ^ a b c David Levinson (1996). “Sara”. The Encyclopedia of World Cultures - 10 Volume set, 1st Edition. Gale. ISBN 978-0816118403
- ^ Anthony Appiah; Henry Louis Gates (2010). Encyclopedia of Africa. Oxford University Press. pp. 253–256. ISBN 978-0-19-533770-9
- ^ Excoffier, Laurent (1987). “Genetics and history of sub-Saharan Africa”. American Journal of Physical Anthropology 30: 151–194. doi:10.1002/ajpa.1330300510 2016年9月1日閲覧。.
- ^ ETH Zurich (2021). EPR Atlas: Central African Republic (PDF) (Report). p. 341. 2023年7月25日閲覧.
参考文献
- René Lemarchand, The Politics of Sara Ethnicity: A Note on the Origins of the Civil War in Chad, in: Cahiers d'Études africaines, Vol. 20, Cahier 80 (1980)
- René Lemarchand, Chad: The Misadventures of the North-South Dialectic, in: African Studies Review, Vol. 29, No. 3 (Sept., 1986)
- Mario Azevedo, The Human Price of Development: The Brazzaville Railroad and the Sara of Chad, in: African Studies Review, Vol. 24, No. 1 (Mar., 1981)
- Mario Azevedo, Power and Slavery in Central Africa: Chad (1890-1925), in: The Journal of Negro History, Vol. 67, No. 3 (Autumn, 1982)
- Robert Jaulin, La Mort Sara, Paris, 10/18, 1971 (1967)
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