コリエーレ・デラ・セラ紙への経営介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:45 UTC 版)
「ロッジP2」の記事における「コリエーレ・デラ・セラ紙への経営介入」の解説
その後1977年には、当時の与党であるキリスト教民主党との対立により、イタリアの主要銀行からの融資を止められ資金難に陥っていた日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」の親会社であるリッツオーリ社に、左派で知られたピエーロ・オットーネ編集長を解雇することを条件にジェッリが融資を持ちかけた。なお、リッツオーリ社のアンジェロ・リッツオーリ社長は「ロッジP2」のメンバーである。 その後ジェッリは、自らと関係の深かったバチカン銀行の総裁で、枢機卿でもあるポール・マルチンクスが違法に調達した資金をリッツオーリ社に提供し、その後オットーネ編集長は解雇された。以降同紙は現在に至るまで保守主義的な論調を取ることとなった。
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