ケント=ストラサーン公爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 14:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ケント=ストラサーン公爵(ケント=ストラサーンこうしゃく、英語: Duke of Kent and Strathearn)は、グレートブリテン貴族の伯爵位。
歴史
1799年4月23日、ジョージ3世(1738-1820)の四男エドワード王子(1767-1820)はアイルランド貴族であるダブリン伯爵とグレートブリテン貴族であるケント=ストラサーン公爵に叙された[1]。妻との間で娘ヴィクトリア(1819-1901)(後のヴィクトリア女王)をもうけたものの息子はおらず、1820年1月23日に病死すると爵位は廃絶した[2]。
ケント=ストラサーン公爵(1799年)
- エドワード王子(1767年 – 1820年)
出典
- ^ The London Gazette: no. 15126. p. 372. 1799年4月20日。
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 183–184.
関連項目
ケント=ストラサーン公爵
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「ケント公」の記事における「ケント=ストラサーン公爵」の解説
1799年4月23日、国王ジョージ3世の四男(ジョージ4世、ウィリアム4世の弟)である王子エドワード・オーガスタスが「ケント=ストラザーン公」として叙された。イングランドの地名(ケント)に基づく称号とスコットランドの地名(ストラサーン)に基づく称号を共に公爵として扱ったため、このような複合地名の称号となった。しかしエドワードもまた後継者を持たなかったため(一人娘ヴィクトリアは王位を継承した)、これも1代限りで廃絶した。
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