ケオ・ファー1世とは? わかりやすく解説

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ケオ・ファー1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 03:15 UTC 版)

ケオ・ファー1世
ចៅពញាញោម
カンボジア国王
在位 1600年 - 1602年

出生 1603年
カンボジア王国
死去 1580年
カンボジア王国ストゥン郡英語版
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ケオ・ファー1世クメール語: ចៅពញាញោម1580年1603年)は、カンボジア国王(在位:1600年1602年[1]

略歴

ケオ・ファー1世は元国王サター1世(英語版)の三男でバロム・リヤチヤ6世の甥[1]

ケオ・ファー1世は1600年のバロム・リヤチヤ6世が暗殺されたのちに即位した。即位後すぐにバロム・リヤチヤ6世を暗殺したケオ・プリァッ・プロゥンを殺害し、首都をスレイ・サントー(英語版)からプノンペン遷都した。しかし、ケオ・ファー1世は政治に関心を持たず、酒や遊興に溺れた。国を憂慮した祖母のテヴィクサットレイ王女(英語版)は、1601年アユタヤに拘留されていたサター1世の弟バロム・リヤチヤ7世をアユタヤ軍と帰還させ、タイランド湾のコッ・スラケート島に拠点を構えた。テヴィクサットレイ王女はケオ・ファー1世の罷免を宣言し、1602年にバロム・リヤチヤ7世は国王に即位した。ケオ・ファー1世は王位を奪取しようと、ストーン地方(英語版)で反乱を起こした。1603年にアユタヤの援軍1万人が到着し、バロム・リヤチヤ7世の軍により処刑された[1]

脚注

  1. ^ a b c マック・プン 著、佐藤恵子、石澤良昭 訳『カンボジア中世史』めこん、2021年12月28日、159‐216頁。 

参考文献

  • マック・プン(佐藤恵子、石澤良昭訳)『カンボジア中世史』めこん、2021年。ISBN9784839603267
先代
バロム・リヤチヤ6世
カンボジア王国国王
1600年 - 1603年
次代
バロム・リヤチヤ7世



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