グラム・ハイダル・ラスリとは? わかりやすく解説

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グラム・ハイダル・ラスリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 06:28 UTC 版)

グラム・ハイダル・ラスリ(غـلام حـيدر رسـولي、Ghulam Haidar Rasuli、1919年 - 1978年4月)は、アフガニスタンの政治家、軍人。大将。ムハンマド・ダーウード政権の参謀総長(1975年 - 1977年)、国防相(1977年 - 1978年)。

経歴

ルスタク市出身。パシュトゥーン人、ムハマッディ氏族。父のグラム・ラスールは、カンダハールの長官だった。1933年、陸軍幼年学校を卒業。

  • 1946年~1954年 - カーブル守備隊の騎兵将校
  • 1954年~1956年 - ジャラーラーバード守備隊に勤務
  • 1956年~1958年 - インドの軍学校に研修
  • 1958年~1960年 - マザーリシャリーフ守備隊参謀長
  • 1960年~1964年 - プリ・フムリで勤務
  • 1964年~1966年 - ガルデゼで勤務
  • 1966年 - 国防省召集局長、中佐。

間もなく、ダーウードの支持者として、陰謀への関与を疑われ、退役させられる。

1973年、ダーウードの軍事クーデターに参加し、少将に昇進する。同年、中央軍団司令官。1975年、参謀総長。1977年、国防相に就任し、大将に昇進。

1978年の四月革命時、反乱軍により殺害。

パーソナル

妻帯、7児を有した。妻は、農業相アダラト・ハーンの娘。





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