グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前32年の執政官)とは? わかりやすく解説

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グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前32年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 19:17 UTC 版)


グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス
Gn. Domitius L. f. Cn. n. Ahenobarbus[1]
紀元前40年前後に鋳造されたデナリウス銀貨。アヘノバルブス家のトレードマークであるヒゲ面と裏面には船が刻まれている
出生 不明
死没 紀元前31年
出身階級 プレブス
一族 アヘノバルブス家
氏族 ドミティウス氏族
官職 プラエフェクトゥス・クラッシス?紀元前44年-42年)
艦隊司令官紀元前42年-40年)
プロコンスルアントニウス配下、紀元前40年-34年)
執政官紀元前32年
レガトゥス(アントニウス、紀元前31年
後継者 ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前16年の執政官)
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グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスラテン語: Gnaeus Domitius Ahenobarbus, ? - 紀元前31年)は、共和政ローマ末期の政務官

家族

プレブス系ドミティウス氏族のアヘノバルブス家出身。アヘノバルブスは紀元前2世紀から頭角を現して代々執政官(コンスル)を務めていた。父はルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス、子に父と同名のルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス

略歴

当初はガイウス・ユリウス・カエサルの独裁政治への態度に反発、対立するが、ファルサルスの戦いの後で恭順する。そして紀元前46年にローマへ帰還する。

カエサル暗殺英語版後にはドミティウスはマルクス・ユニウス・ブルトゥスガイウス・カッシウス・ロンギヌスへと接近する。第二回三頭政治体勢に反発し、フィリッピの戦いで功績を挙げた。しかしマルクス・アントニウスビティニア総督としたガイウス・アッシニウス・ポッリオの仲介のもとでアントニウスと和睦した。

紀元前32年にはコンスルとなる。オクタウィアヌスとアントニウスが対立すると、最初アントニウス側につき東方へと向かうが、アントニウスがプトレマイオス朝クレオパトラ7世と親しくなると離反、アクティウムの海戦直前にオクタウィアヌスの側につく。そして海戦が終わって直後に没した。

出典

  1. ^ MRR2, p. 417.

参考文献

関連項目

公職
先代
アウグストゥス II
ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス
補充:
ルキウス・アウトロニウス・パエトゥス
ルキウス・フラウィウス
ガイウス・フォンテイウス・カピト
マルクス・アキリウス・グラブリオ
ルキウス・ウィニキウス
クィントゥス・ラロニウス
正規執政官(途中離任)
正規執政官:ガイウス・ソシウス(途中離任)
紀元前32年
補充執政官:
ルキウス・コルネリウス・キンナ
マルクス・ウァレリウス・メッサッラ
次代
マルクス・アントニウス III
アウグストゥス III
補充:
マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・コルウィヌス
マルクス・ティティウス
グナエウス・ポンペイウス



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