ギルザイ部族連合
アフガニスタンのギルザイ女性 | |
民族 | パシュトゥーン人 |
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居住地 | ![]() ![]() |
言語 | パシュトー語 |
宗教 | イスラム教 |
ギルザイ部族連合(ギルザイぶぞくれんごう、パシュトー語: غلجي、英語: Ghilji、ギルザイは「山の民」の意[1])は、パシュトゥーン人の中で最も大きな部族連合の1つ。現代の遊牧民であるクチ族の大多数はギルザイ族に属しており[1]、アフガニスタンの人口の約20 - 25%を占めているとされる[2]。ガルジー部族連合、ギルザイ族と表記する場合もある。
概要
ギルザイ部族連合はパシュトゥーン人の二大部族連合の1つである。アフガニスタンのガズニー州を中心とする東アフガニスタンの部族で構成されている。ギルザイ部族連合は18世紀にホータキー朝を興した。もう1つの部族連合であるドゥッラーニー部族連合と比べて、部族数は2倍だと言う[3]。
歴史
ホータキー朝
ギルザイ族は7世紀から10世紀ごろガズニーに居たトルコ系のハラジュ族と関係があり、パシュトゥーン人の源流とする説がある[4]。16世紀にパシュトゥーン人はスレイマン山脈からヘラートやカンダハール、カブールなどを通る幹線沿いに進出した。17世紀、ギルザイ族(部族連合)はカンダハールに居り、サファヴィー朝に従っていたが、シーア派への改宗を迫られた為に反旗を翻した。中心となったのはホータキー族のミール・ワイスで、1709年にホータキー朝を興した。1721年、ホータキー朝はサファヴィー朝の都エスファハーンを陥落させたが、ナーディル・シャーの反撃により1729年に倒された。1738年、カンダハールが陥落し、ギルザイ族は街を追われた[5]。
部族
ブーラーン族
主にガズニーの北に住んでいる。
- アフマドザイ氏族などが属する。アフマドザイ氏族はパクティヤー州ガルデーズやナンガルハール州ジャラーラーバードなどに在住し、インド貿易で財をなした富裕な一族である[3]。アフガニスタン民主共和国最後の最高指導者のムハンマド・ナジーブッラー、ムジャーヒディーンのアフマド・シャー・アフマドザイやアブドル・ハク、元アフガニスタン・イスラム共和国の大統領のアシュラフ・ガニーなど。
- モコル(ムクル)に在住[3]。
- モコル(ムクル)在住[3]。アフガニスタン民主共和国の初代最高指導者のヌール・ムハンマド・タラキーなど。
トゥーラーン族
主にガズニーの南に住んでいる。
- ハローティー族(ハローティー・ガルジー族[3])
- グマル川上流に在住[3]。アフガニスタン民主共和国の第2代最高指導者のハフィーズッラー・アミーン、クンドゥーズ州を開拓したシール・ハーン・ナセル、ムジャーヒディーンのグルブッディーン・ヘクマティヤールなど。
- モコル(ムクル)の南方[3]のザーブル州カラートに住んでいる。カラーティー・ギルザイ砦(英語: Qalat I Ghilzai、別名カラーティー・トーヒー)が有名で[3]、16世紀にムガル帝国とカラーティー・ギルザイ砦の戦いがあったと言う。
こちらも関連
脚注
関連項目
- ギルザーイー部族のページへのリンク