カール・アウグスト・リナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 14:11 UTC 版)
カール・アウグスト・リナー
|
|
---|---|
Carl August Liner | |
![]()
自画像
|
|
生誕 | 1871年6月8日 スイス、ザンクト・ガレン |
死没 | 1946年3月20日 (74歳没) スイス、アッペンツェル |
カール・アウグスト・リナー(Carl August Liner, 1871年6月8日 - 1946年3月20日)は、スイスの画家、イラストレーターである。
略歴
スイス北東部のザンクト・ガレンの大工の息子に生まれた。州立学校の技術科を卒業した後、1890年から1893年の間、ミュンヘン美術院で風俗画家のヨハン・カスパー・ヘルテリッヒに学び[1]、ミュンヘンでルートヴィヒ・シュミット=ロイテ(Ludwig Schmid-Reutte)に解剖学を学んだ。ミュンヘン美術アカデミーの教授のパウル・ヘッカーの指導でバイエルンのアマー湖などで写生旅行をし、外光派やバルビゾン派のスタイルを学んだ。その後、芸術家が集まっていたダッハウや北ドイツのヴォルプスヴェーデで活動した。
1891年にヴォー州のビエール(Bière)に戻り、軍事訓練期間が終わった後、1894年にザンクト・ガレンに戻り、美術教師を務め、イラストレーターとして働いた。1897年から1898年はローマやテッラチーナ、パリで修行した。1901年にデュッセルドルフ美術アカデミーの教授職のオファーを受けるが、辞退した。
1902年に商人の娘と結婚し、画家になる息子カール・ヴァルター・リナー(Carl Walter Liner: 1914-1997)を含む5人の子供が生まれた[2] 。1913年にフェルディナント・ホドラーに提案されて、スイス画家彫刻家協会(Gesellschaft Schweizerischer Maler und Bildhauer)のザンクトガレン支部を設立した。1928年にスイス画家彫刻家協会の役員に選ばれたが、政治に関連する問題で1931年に辞任した。
絵画の他、切手やポスターのデザイナー、イラストレーターとして働き、収入の大半を得た。素人発明家であり、芝刈り機に関する特許を取得した。絵画がよく売れるようになったのは1930年代になってからであった。
骨関節結核に長年悩まされ、1940年までには、仕事がほぼできなくなり、1942年からは下半身が麻痺し病院で暮らすようになり、1946年にアッペンツェル・インナーローデン準州のアッペンツェルで亡くなった。
作品
-
テッラチーナの路地(1898)
-
滝 (1905)
-
ボーデン湖畔の風景
-
画家の妹 (1894)
-
雪の中の木こり(1915)
-
インナーローデンの伝統衣装の女性(c.1916)
-
赤い服の女性(1897)
-
ザンクト・ガレンの博覧会のポスター(1907)
脚注
- ^ "1890 Matrikebucheintrag für Carl August Liner". Akademie der Bildenden Künste München. 2020年7月8日閲覧。
- ^ Jakob Bernet und Cäcilie, geborene Niederer, abgerufen am 4. August 2023.
参考文献
- Victor Lorent, Hans Jakob Alder: Carl Liner, Amriswil: Bodensee-Verlag (1954).
- Franz Felix Lehni: Carl Liner – Leben und Werk 1871–1946. Niggli Verlag (1970).
- Arthur Niggli: Carl Liner 1871–1946 – Zeichnungen. Niggli Verlag (1971).
- Film by Phil Dänzer and Ursina Bartsch: Carl Liner – Vater und Sohn. Phil Dänzer-AudioVision, Zürich (2001).
- カール・アウグスト・リナーのページへのリンク