カルロス・テオ・クルスとは? わかりやすく解説

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カルロス・テオ・クルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/04 16:58 UTC 版)

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はロザリオ第二姓(母方の)はクルスです。
カルロス・テオ・クルス
基本情報
本名 Carlos Teófilo Rosario Cruz
階級 ライト級
身長 169cm
リーチ 173cm
国籍 ドミニカ共和国
誕生日 (1937-11-24) 1937年11月24日
出身地 ドミニカ共和国
死没日 (1970-02-15) 1970年2月15日(32歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 58
勝ち 43
KO勝ち 14
敗け 13
引き分け 2
無効試合 0
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カルロス・テオフォロ・ロザリオ・クルスCarlos Teófilo Rosario Cruz1937年11月24日 - 1970年2月15日)は、ドミニカ共和国出身の元プロボクサー。元WBA・WBC世界ライト級王者。名王者カルロス・オルチスを破り王座を獲得したことで知られる。

来歴

1959年10月23日、プロデビュー。デビュー戦は判定負けで黒星からのデビューとなった。キャリア前半は勝ったり負けたりを繰り返す平凡なボクサーだったが、1964年からは頭角を現し世界ランク入りを果たす。

1968年6月29日、名王者カルロス・オルチスの持つWBA・WBC世界ライト級タイトルに挑戦し、オルチスをポイントアウトして15回判定勝ち。番狂わせで世界王座を獲得し、一躍国の英雄となった。

1968年9月27日、早熟の天才マンド・ラモスを退け初防衛に成功。しかし翌1969年2月18日、ラモスに11回TKO負けで王座を明け渡した。

その後、王座返り咲きを目指して4連勝を収めるなど順調に再起していたが、1970年2月15日、搭乗したドミニカーナ航空の603便の墜落事故に巻き込まれ、一緒にのっていた妻と子供2人と共に帰らぬ人となった[1]

獲得タイトル

  • WBA世界ライト級王座(防衛1度)
  • WBC世界ライト級王座(防衛1度)

関連項目

出典

  1. ^ Crash stills title hopes”. The Windsor Star. 2015年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月11日閲覧。

外部リンク

前王者
カルロス・オルチス
WBA世界ライト級王者

1968年6月29日 - 1969年2月18日

次王者
マンド・ラモス
前王者
カルロス・オルチス
WBC世界ライト級王者

1968年6月29日 - 1969年2月18日

次王者
マンド・ラモス



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