オクタゴン (プロレスラー)
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オクタゴン | |
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プロフィール | |
リングネーム | オクタゴン ラ・アメナサ・エレガンテ |
本名 | 非公開 |
ニックネーム | カリスマ忍者 |
身長 | 172cm |
体重 | 86kg |
誕生日 | 1961年3月27日(64歳) |
出身地 | ![]() ベラクルス州ハラパ |
トレーナー | ラウル・レイエス |
デビュー | 1981年12月6日 |
オクタゴン(Octagon、1961年3月27日 - )は、メキシコの覆面レスラー。ベラクルス州ハラパ出身[1]。
来歴
ベラクルス大学卒業、石油会社に勤めながら正道会館で空手の修行を積む。
マサクレにスカウトされプロレス入り。ラウル・レイエスの元で4年間修行しEMLL入り。
1981年12月6日にメキシコシティにてラ・アメナサ・エレガンテのリングネームで、対アレナ・アステカ戦でデビュー。
1989年5月からアントニオ・ペーニャのスカウトでチャック・ノリス主演のアメリカ映画『オクタゴン』に因んで、父親は日本人でメキシコで暗殺され復讐に立ち上がるヒーローと言う設定の下、オクタゴンの名で同年5月29日、対ピスタ・レボルシオン戦でデビュー。
1992年5月にAAAに移籍(事実上の団体立ち上げメンバーでもある)。AAAの主力メンバーとして活躍。
1997年にWWFに参戦。
偽者(ルード)およびミニ・エストレージャ(ミゼットレスラー)が同コスチューム色違いで数人存在する。ペンタゴンという悪役が過去に3人存在し、オクタゴンと死闘を繰り広げた。現在はオクタゴンシートというミニ・エストレージャが2人いる。
2014年にAAAを解雇。オクタゴンは解雇の不当性とオクタゴンというリングネーム、キャラクター性の知的財産保有を訴え2019年に勝訴した[2]。
長らく「未来日のルチャの大物」であったが、2000年7月のAAA『トリプレマニア8』大会で初来日[3]。2025年4月27日に行われた両国国技館「LUCHA FIESTA ESPECIAL」で25年ぶりの来日を果たした。息子のイホ・デ・オクタゴンと組み、パンテーラJr.&佐々木大輔組と対戦した[4]。
獲得タイトル
- AAA殿堂
- メキシコナショナルミドル級王座 : 4回
- メキシコナショナルタッグチーム王座 : 1回
- メキシコナショナルトリオ王座 : 2回
得意技
- グランド卍固め
- 空手殺法
脚注
- ^ “Octagón”. Wrestlingdata.com. 2015年12月4日閲覧。
- ^ naoki909 (2020年1月4日). “『オクタゴン』の商標権はオクタゴン本人が有することが明らかに”. ルチャリブレ馬鹿は今日もプロテインです. 2025年7月26日閲覧。
- ^ Dr.Lucha (2025年4月30日). “【第713回】レジェンドたちの感謝”. DrLucha.com. 2025年7月26日閲覧。
- ^ “週刊プロレス ルチャフェスが両国に初進出、日本vs世界は大団円に/令和に蘇るハヤブサが田中に不死鳥の舞!”. 週刊プロレスms-charge.mscon.jp (2025年4月27日). 2025年7月25日閲覧。
外部リンク
- Octagón - Luchawiki
- オクタゴン_(プロレスラー)のページへのリンク