エレクテウスの孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 17:12 UTC 版)
「パンディーオーン」の記事における「エレクテウスの孫」の解説
このパンディーオーンは、アテーナイの王エレクテウスの子ケクロプスと、エウパラモスの娘メーティアドゥーサの子で、上述のパンディーオーンの曾孫にあたる。メガラーの王ピュラースの娘ピュリアーとの間にアイゲウス、パラース、ニーソス、リュコスをもうけた。 パンディーオーンは父ケクロプスの死後に王となったが、叔父のメーティオーンの息子たちが内乱を起こし、追放された。このためパンディーオーンはメガラーのピュラース王のところに亡命して、王女ピュリアーと結婚し、後にピュラースがペロポネーソス半島に去ったときに王国を譲り受けた。メガラーの王となったパンディーオーンはこの地で一生を終えたが、息子たちはアテーナイに進軍してメーティオーンの息子たちを追放し、王国を4分してそれぞれ支配した。なお、メガラーにはパンディーオーンの墓と英雄廟があった。
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