エリーザベトアウグステゾフィーフォンデアプファルツとは? わかりやすく解説

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エリーザベト・アウグステ・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 00:53 UTC 版)

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エリーザベト・アウグステ・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ
Elisabeth Auguste Sofie von der Pfalz
ズルツバッハ公世子夫人エリーザベト・アウグステ・ゾフィー、ピエール・グドリュー(Pierre Goudreaux)画

出生 (1693-03-17) 1693年3月17日
ボヘミア王国ブジェク
死去 (1728-01-30) 1728年1月30日(34歳没)
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領マンハイム
埋葬 1728年
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク、カルメル会修道院
1805年
バイエルン選帝侯領ミュンヘン、聖ミヒャエル教会
配偶者 ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
子女 カール・フィリップ・アウグスト
インノツェンツィア・マリア
エリーザベト・アウグステ
マリア・アンナ
マリア・フランツィスカ
カール・フィリップ・アウグスト
家名 プファルツ=ノイブルク家
父親 プファルツ選帝侯カール3世フィリップ
母親 ルドヴィカ・カロリナ・ラジヴィウ
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エリーザベト・アウグステ・ゾフィー・フォン・デア・プファルツElisabeth Auguste Sofie von der Pfalz, 1693年3月17日 - 1728年1月30日)は、ドイツのプファルツ=ノイブルク家の公女。プファルツ選帝侯カール3世フィリップとその最初の妃ルドヴィカ・カロリナ・ラジヴィウの間の三女で、同族のプファルツ=ズルツバッハ公世子ヨーゼフ・カールに嫁いだ。

生涯

エリーザベトは選帝侯カール3世フィリップにとって唯一成人した子供であった。1717年、父は同族間の結びつきを強めようと、自分の選帝侯位の後継者とされていたプファルツ=ズルツバッハ公世子ヨーゼフ・カールとエリーザベトを結婚させた。これにより、ヴィッテルスバッハ家のプファルツ=ノイブルク系とプファルツ=ズルツバッハ系は一本化された。夫妻の間に生まれた息子がプファルツ選帝侯家の相続人となるはずだったが、夫妻の間に生まれた息子たちはいずれも幼児期に死んだ。エリーザベトも1728年に流産ののち死去した。

エリーザベトの娘エリーザベト・アウグステと結婚したプファルツ=ズルツバッハ家のカール・テオドール(ヨーゼフ・カールの甥)がプファルツ選帝侯家を継ぎ、後にバイエルン選帝侯家も相続したが、夫妻に子供がなく断絶した。エリーザベトのもう一人の娘でプファルツ=ビルケンフェルト家フリードリヒ・ミヒャエルと結婚したマリア・フランツィスカの息子マクシミリアン・ヨーゼフが、その後継者となり、のちバイエルン国王となった。

子女

参考文献

  • Hans Rall: Wittelsbacher Lebensbilder von Kaiser Ludwig bis zur Gegenwart, München 1976




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