エリック・レニーニとは? わかりやすく解説

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エリック・レニーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 03:59 UTC 版)

エリック・レニーニ
Éric Legnini
エリック・レニーニ(2011年)
基本情報
生誕 (1970-02-20) 1970年2月20日(55歳)
出身地 ベルギー ユイ
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ピアノ
活動期間 1980年 -
レーベル Label Bleu、Discograph、Igloo、Anteprima
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エリック・レニーニÉric Legnini1970年2月20日 - )は、ベルギーリエージュに近いユイ出身のジャズピアニストであり、エリック・レニーニ・トリオ(Éric Lagnini Trio)のリーダーである[1][2]

経歴

レニーニは、イタリアから来た芸術家の家に生まれた。彼は、家族で移民した先のベルギーで、6歳のときにピアノを弾きはじめ、十代でジャズをはじめた。1988年には、彼はアメリカのジャズの様式を学ぶため、2年間にわたってアメリカを旅行した。彼は、ブリュッセル王立音楽院のジャズ・ピアノの教師として帰国し、そこでジャック・ペルツァー(Jacques Pelzer)に出会うことになる。その結果、ペルツァーのアルバム『私を去らせないで(Never Let Me Go)』[3]で、バルネ・ウィランやミシェル・グレイエ(Michel Graillier)らとともに、エリック・レニーニも客演することになる。

彼はステファノ・ディ・バティスタ・クァルテット(Stefano Di Battista Quartet)でピアノを弾くようになった[4]。 1990年代には、フラビオ・ボルトロ(Flavio Boltro トランペット)とステファノ・ディ・バティスタ(Stefano Di Battista サクソフォーン)とともに、エリック・レニーニ・トリオを結成して演奏活動を行ない注目を集めた。彼は、アルド・ロマーノ、ベルモンド・クインテット(Belmondo Quintet)、ジョン・ルオッコ(John Ruocco)、フェリックス・シムタン(Félix Simtaine)、ミシェル・アツィ(Michel Hatzi)、ドレ・パレマーツ(Dré Palemaerts)、エマニュエル・シシ(Emanuel Cisi)、トニーニョ・オルタフィリップ・カテリーンセルジュ・レジアニ、ハイン・ファン・デ・ガイン(Hein van de Geyn)、マルシア・マリア(Marcia Maria)、ジャック・ペルツァー、アンドレ・チェッカレーリ(André Ceciarelli)、エリック・ル・ラン(Éric Le Lann)、パコ・セリー(Paco Sery)などと共演してきた。

レニーニは、フィニアス・ニューボーンの作品群に深く傾倒しており、「メンフィスのあいつ(The Memphis Dude)」という曲を彼に捧げている。この曲は、彼のアルバム『ミス・ソウル』に収録されている。レニーニは、2006年の「Octave de la musique jazz」の受賞、2011年の「Victoires du jazz」におけるアルバム『ザ・ヴォックス』での「年間最優秀器楽アルバム賞」受賞などを経験している。

ディスコグラフィ

アルバム

エリック・レニーニ・トリオ

  • Essentiels (1990年、Igloo)
  • Natural Balance (1990年)
  • 『アントレーグ』 - Antraigues (1993年、P Jazz)
  • Rhythm Sphere (1995年、Igloo)
  • 『ミス・ソウル』 - Miss Soul (2005年、Label Bleu)
  • 『ビッグ・ブーガルー』 - Big Boogaloo (2007年、Label Bleu)
  • 『トリッピン』 - Trippin (2009年、B. Flat) ※全仏103位
  • 『ニュー・バラッド』 - Ballads (2012年、Discograph) ※全仏55位

エリック・レニーニ&アフロ・ジャズ・ビート

  • 『ザ・ヴォックス』 - The Vox (2011年、Discograph) ※全仏113位
  • Sing Twice! (2013年、Discograph) ※全仏139位

ソロ

  • Waxx Up (2017年、Anteprima)
  • Six Strings Under (2019年、Anteprima)

出典

  1. ^ Jacques Mercier Belges en France 2006 p142 "C'est sous la double influence de Kirkland et de Hancock qu'Éric Legnini fait son retour en Belgique en 1990. Aussitôt nommé professeur de piano dans la section jazz du Conservatoire royal de Bruxelles, il retrouve Jacques Pelzer avec qui il ..."
  2. ^ Bruno Demoulin, Jean-Louis Kupper Histoire de la Wallonie: de la préhistoire au XXIe siècle 2004 p375 "Échappant de peu à l'emprise liégeoise, la troisième distingue, entre autres, deux Hutois, le violoniste Jean-Pierre Catoul (1963-2001) et le pianiste Éric Legnini (1970), l'Andennaise Nathalie Loriers (1966), elle aussi rompue à l'art du clavier"
  3. ^ Igloo Records:エリック・レニーニのページ
  4. ^ Label Bleu:エリック・レニーニ略歴

外部リンク




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