ウルフ / フィッティパルディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 02:10 UTC 版)
「ハーベイ・ポスルスウェイト」の記事における「ウルフ / フィッティパルディ」の解説
ポスルスウェイトは自身の設計した308Cとともに、新たに設立されたウルフ・ウィリアムズに移籍した。このチームはウォルター・ウルフとフランク・ウィリアムズの共同運営であったが、成績が芳しくなく両者はすぐ袂を分かった。ポスルスウェイトはウルフ側に残留し、1977年に向けてニューマシンのWR1を設計した。 WR1は、1977年の開幕戦でジョディー・シェクターのドライブにより優勝という最高の結果をもたらした。同年中にはさらに2度の優勝と多くの表彰台を勝ち取り、シェクターはドライバーズランキングで2位という結果を残した。 1978年にはロータスを追ってウィングカーのWR5を開発したが、チームの成績は下降し始める。 1979年限りでウルフチームが消滅すると、ドライバーのケケ・ロズベルグや他のスタッフとともにフィッティパルディに合流した。1981年までこのチームに留まったが、1977年のような成功を再び得ることはなかった。1980年にはサウサンプトン大学で航空力学を専攻したエイドリアン・ニューウェイを採用した。
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