ウダイ・シング (メーワール王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/29 04:23 UTC 版)
ウダイ・シング Udai Singh |
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メーワール王 | |
在位 | 1468年 - 1473年 |
別号 | マハーラーナー |
出生 | 不詳 |
死去 | 1473年 デリー |
王朝 | シソーディヤー朝 |
父親 | クンバー |
宗教 | ヒンドゥー教 |
ウダイ・シング(Udai Singh, - 1473年)は、北インドのラージャスターン地方、メーワール王国の君主(在位:1468年 - 1473年)。ウダイカラン(Udaikaran)、ウーダー(Uda)、ウダヤ(Udaya)とも呼ばれる。
生涯
メーワール王国の君主クンバーの息子として、チットールガルで誕生した[1][2]。
1468年、父クンバーをクンバルガルで暗殺したことにより、王位を継承した[3][4]。これにより、兄弟間の争いが勃発し、ウダイ・シングは間もなくチットールガルを追われ、厳しい結果を残すこととなった[5]。追放された彼はデリー・スルターン朝の君主と自身の娘を結婚させ、同盟を結ぼうとした[6]。
1473年、ウダイ・シングは結婚式の直前に雷に打たれ、デリーで死亡した[7]。死後、弟のラーイ・マルが王位を継承した。[8][9]。
脚注
参考文献
- サティーシュ・チャンドラ; 小名康之、長島弘訳 『中世インドの歴史』 山川出版社、2001年。
関連項目
- ウダイ・シング_(メーワール王)のページへのリンク