ウォルター・ウィリアム・スキート_(人類学者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウォルター・ウィリアム・スキート_(人類学者)の意味・解説 

ウォルター・ウィリアム・スキート (人類学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 02:00 UTC 版)

ウォルター・ウィリアム・スキート(Walter William Skeat、1866年10月14日1953年7月24日)は、イギリスイングランド)の人類学者。おもにマレー半島における民族誌の先駆的調査に取り組み、著作を残したことで知られている。

生い立ち

スキートは、イングランドケンブリッジに生まれた。スキートの同名の父ウォルター・ウィリアム・スキートは、ケンブリッジ大学アングロサクソン語(古英語)の教授を務めていた[1]

スキートは、1879年から1885年まで、ハイゲート・スクールに学び、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジで学ぶ奨学金を得て進学し、西洋古典学を学んで1891年マスター・オブ・アーツ英語版資格を取得した[2]。その後、海峡植民地と称されていた後のマレーシアの一部であるセランゴールへ、植民地官僚として派遣された。

経歴

程なくしてスキートは、沿岸部の都市化したマレー人と、内陸部に居住する先住民の双方について、その生活様式を研究し始めた。最初の著作につながる研究を1899年までの数年間に進め、まだヨーロッパからの影響が及んでいない内陸部への探険調査を行って、マレー人たちの人類学、民族誌をまとめた。友人で、研究上の協力者でもあったチャールズ・オットー・ブラグデン英語版は、マレーの魔術を取り上げたスキートの1900年の著作『Malay Magic』の出版に際して、序文を寄せている[3]

次いでスキートは、ブラグデンとの共著による大著『Pagan Races of the Malay Peninsula』を1906年に出版した[4]

やがてスキートは、内陸部への遠征を重ねたことが原因で健康を害してしまい、イギリス領海峡植民地に留まることができなくなり、ロンドンに戻った。スキートは、1914年大英博物館の講師 (lecturer) となった。

スキートは、1932年に引退し、1953年7月24日にロンドンで死去した[5]

おもな著書

脚注

  1. ^ Skeat, Walter William. The Past at Our Doors (introductory Author's note) Macmillan London 1913. archive.org
  2. ^ Ed. Boreham, J.Y.. Highgate School Register 1838-1938 (4th ed.). p. 98 
  3. ^ Skeat, Walter William. Malay Magic; introd. by Blagden, Charles Otto. London: Macmillan, 1900. archive.org
  4. ^ Skeat, Walter William and Blagden, Charles Otto. Pagan Races of the Malay Peninsula. London: Macmillan, 1906. archive.org
  5. ^ Skeat, Walter William. Encyclopædia Britannica 2007 Ultimate Reference Suite. Chicago: Encyclopædia Britannica, 2012



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウォルター・ウィリアム・スキート_(人類学者)」の関連用語

ウォルター・ウィリアム・スキート_(人類学者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウォルター・ウィリアム・スキート_(人類学者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウォルター・ウィリアム・スキート (人類学者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS