ウィリアム・クレイトン (主教)とは? わかりやすく解説

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ウィリアム・クレイトン (主教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/16 14:35 UTC 版)

尊師 
ウィリアム・クレイトン
米国聖公会ワシントン州教区主教英語版
教会 米国聖公会
教区 ワシントン州教区
着座 1962年
離任 1977年
前任 アンガス・ダン英語版
後任 ジョン・トーマス・ウォーカー英語版
他の役職 ワシントン州教区補佐司祭(1959年-1962年) 
聖職
叙階/叙聖 1934年4月
by フランク・ウィンテントン・クレイトン英語版
司祭叙任 1934年11月
by フレデリック・ベテューン・バートレット英語版
主教叙任 1959年5月1日
by アーサー・カール・リヒテンバーガー
個人情報
本名 ウィリアム・フォアマン・クレイトン 
出生 (1909-07-23) 1909年7月23日
アメリカ合衆国
ペンシルベニア州フィラデルフィア
死去 1987年5月20日(1987-05-20)(77歳)
アメリカ合衆国
ワシントンD.C.
墓所 ワシントン大聖堂
国籍 アメリカ合衆国
教派・教会名 聖公会
両親 フランク・ウィンテントン・クレイトン & モード・R・ホーク
配偶者 メアリー=ルイーズ・フォレスト・クレイトン[1]
子供 ウィリアム
マイケル
マックスウェル[1]
出身校 ペンシルベニア大学
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ウィリアム・フォアマン・クレイトンWilliam Forman Creighton1909年7月23日 - 1987年5月20日)は、米国聖公会主教である。第5代米国聖公会米国聖公会ワシントン州教区英語版主教を務めた[2]

若年期

フランク・ウィンテントン・クレイトン英語版主教[3]とモード・R(ホーク)・クレイトンの息子として生まれる。ペンシルベニア大学を卒業し、大学では1931年のシグマ・パイ英語版友愛会会員であった[4]。1934年に米国聖公会神学校英語版を卒業した[5]

初期の聖職者生活

1934年4月に父親のフランク・W・クレイトン主教により執事、1934年11月にフレデリック・ベテューン・バートレット主教英語版により司祭に叙任された。叙任された後の最初の配属先はノースダコタ州ディッキー郡オークス英語版のセント・マーク教会であった。赴任から3年後、ミネソタ州ラムゼー郡ミネソタのセント・クレメント教会に異動した。第二次世界大戦ではアメリカ海軍の従軍牧師を務めた。第二次世界大戦終結後、メリーランド州モンゴメリー郡ベセスダのセント・ジョン教会に配属された[1]

主教職

1958年、アンガス・ダン主教英語版はクレイトンが数年間聖職者を辞めるつもりであったことや補佐司祭英語版選出を要求していることを知った。最初の選挙でジョン・ボーエン・コバーン英語版が選出されたが、コバーンはこれを辞退した。2回目の選挙においてウィリアム・G・ポラード英語版を抑えて選出され、1962年まで補佐司祭を務めることになった[5]

クレイトンは自身の神学と知性に関する洞察力を警戒されていた。ジェイムズ・パイク主教英語版の異端審問が行われた1962年、クレイトンは上司であるにもかかわらず少数意見を述べ、ダン主教は多数意見を述べた[2]。同年、クレイトンはワシントン州教区主教に就任することになる。

1963年11月25日、アーサー・カール・リヒテンバーガー師の代理としてジョン・F・ケネディ大統領の葬儀に参列した[6]

1960年代には人種間緊張を克服するべく他の宗教指導者たちと共に働いた。黒人を締め出す幾つかの組織に所属していたために一部の人間から批判され、最後にはこれらの組織から退くことになった[7]

クレイトンは女性聖職者の叙任を早くから支持していた。1975年、聖職者としての女性を認めるように断言することで1976年米国聖公会総合会議英語版に圧力を掛けた上で、このことが認められるまでは何人も任命するつもりはないとした。会議の決定を待たずに5名の女性を叙任した支持者もいた。女性聖職者たちが意向に反して二度も聖餐式に参加させられたとして、クレイトンは教会所属のウィリアム・A・ベント師を規則違反で裁判にかけた。ベントには有罪の評決が下され、譴責処分となった[7][8]。クレイトンは如何なる決定が為されようとも、1976年米国聖公会総合会議後に女性たちを叙任することを誓った[9]

家族

父親であるフランク・W・クレイトンは第2代メキシコ聖公会英語版伝道主教英語版、第6代米国聖公会ミシガン州教区英語版主教、米国聖公会ロングアイランド教区英語版補佐主教英語版などを歴任した。息子のマイケル・ウィンテントン・クレイトン英語版は第9代米国聖公会セントラル・ペンシルベニア教区英語版主教である[3]

退任

1977年に主教職を退任した後、1987年に没する直前までワシントンD.C.のセント・ジョン教会で教区牧師を続けた[7]

亡骸はワシントン大聖堂に埋葬された。

脚注

  1. ^ a b c “Marie-Louise Creighton, Bishop's Wife”. Washington Post (Washington, D.C.). (2006年2月11日). https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/10/AR2006021002081.html 2017年9月25日閲覧。 
  2. ^ a b Hyer, Marjorie (1987年5月22日). “Bishop William F. Creighton Dies”. Washington Post (Washington, D.C.). https://www.washingtonpost.com/archive/local/1987/05/22/bishop-william-f-creighton-dies/415451ce-3939-477e-8b78-5f34d1bc0fde/ 2017年9月25日閲覧。 
  3. ^ a b Bishop Consecrated in Central Pennsylvania”. The Living Church. Episcopal Church (1995年12月10日). 2014年3月18日閲覧。
  4. ^ “Alumni News: Another Bishops”. The Emerald of Sigma Pi 49 (2): 56. (Summer 1962). http://www.enivation.com/SigmaPi/archive/Emerald/1962/SP_EMERALD_VOL_49_NO_2_SUMMER_1962.pdf. 
  5. ^ a b Quinn, Frederick (2014). A House of Prayer for all People, A History of Washington National Cathedral. Morehouse Publishing Company. p. 57. ISBN 9780819229250. https://books.google.com/books?id=m6ByBAAAQBAJ&pg=PT57 2017年9月25日閲覧。 
  6. ^ “Sigmap Pi In The News”. The Emerald of Sigma Pi 50 (4): 182–183. (Winter 1964). http://www.enivation.com/SigmaPi/archive/Emerald/1964/SP_EMERALD_VOL_50_NO_4_WINTER_1964.pdf. 
  7. ^ a b c Heart Attack Fells Bishop Creighton”. Episcopal News Service (1987年6月11日). 2017年9月26日閲覧。
  8. ^ Blau, Eleanor (1975年6月6日). “Episcopal Court Convicts Priest”. New York Times (New York, New York). https://www.nytimes.com/1975/06/06/archives/episcopal-court-convicts-priest-finds-he-disobeyed-bishop-by.html?mcubz=0 2017年9月26日閲覧。 
  9. ^ Briggs, Kenneth (1975年9月7日). “Episcopal Women Rehearse Rites”. New York Times (New York, New York). https://www.nytimes.com/1975/09/07/archives/episcopal-women-rehearse-rites-four-to-be-ordained-priests-in.html 2017年9月26日閲覧。 



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