イベリアのヨアネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動イベリアのヨアネ | |
---|---|
![]() | |
生誕 |
不明 ジョージア |
死没 |
1002年頃 アトス山 |
崇敬する教派 | カトリック教会、正教会 |
記念日 | 7月12日 |
イベリアのヨアネ[1](グルジアのヨアネ、アギオリティスのイオアンニス、イヴェロンのヨアネ等とも、? - 1002年頃)は、グルジアの修道士であり、キリスト教で崇敬される聖人。
来歴
グルジアの貴族の一員として、結婚し軍の司令官として勤務していた。しかし後になってビテュニアで修道士となり、コンスタンティノープルに皇帝によって人質とされていた息子:啓蒙者エクフティメ(グルジア語: ექვთიმე ათონელი Ekvtime Atoneli)を救うために赴いた。
ヨアネとその息子は多くの弟子を呼び寄せ、アトス山にある聖アサナシオスの修道院に入った。そして将軍職を退役していたヨアネの義理の兄弟トルニコス(Thornikos)の協力を得てイヴィロン修道院を創建した。ヨアネはイヴィロン修道院の最初の典院を務めた。
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- イベリアのヨアネのページへのリンク