アーゾロでの晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/10 23:15 UTC 版)
「カタリーナ・コルナーロ」の記事における「アーゾロでの晩年」の解説
キプロスはヴェネツィアの植民地となったが、カタリーナはキプロス王国譲渡の代償として女王の称号とアーゾロの女領主 (Signora di Asolo) の地位を保証された。カタリーナが主宰するアーゾロ宮廷は、優れた文学、芸術の集結地として高い評価を得るようになっていった。これは高名な学者で詩人のピエトロ・ベンボが書いた、悲恋と官能愛を綴った架空の会話集『アーゾロの談論 (Gli Asolani)』によるところが大きい。カタリーナは1510年に故国ヴェネツィアで死去し、ヴェネツィアの聖使徒聖堂に埋葬された。 カタリーナの墓 カタリーナの葬儀記念碑。
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