アンリ・エヴェヌプール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 01:22 UTC 版)
アンリ・エヴェヌプール
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Henri Evenepoel | |
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自画像
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生誕 | 1872年10月3日 フランス、ニース |
死没 | 1899年12月17日 (27歳没) フランス、パリ |
アンリ=ジャック=エドゥアール・エヴェヌプール(Henri-Jacques-Edouard Evenepoel、1872年10月3日 - 1899年12月27日)はベルギーの画家、版画家である。1982年からパリに移り、フランスなどで活動するが、27歳で病没した。
略歴
ベルギーの内務省の役人の息子で、父親が病気がちな母親の静養のために購入したフランス、ニースの別荘で生まれた[1]。母親はアンリが2歳の時に亡くなった。ブリュッセル近くのサン=ジョス=タン=ノードの学校で絵を学んだ後、1889年から1890年の間、ブリュッセル王立美術アカデミーで学び、1892年にパリに出て、パリ国立高等美術学校に入学した。象徴主義の画家ギュスターヴ・モローの工房で学び、アンリ・マティス(1869-1954)やジョルジュ・ルオー(1871- 1958)、アルベール・マルケ(1875-1947)、シャルル・ミルサンドー(Charles Milcendeau:1872-1919)といった画家と知り合った。
1894年の国民美術協会のパリのサロンでデビューし、1895年からパリの「Salon du Champ-de-Mars」に出展し、亡くなるまで出展を続けた。1897年末から1898年の1月間、ブリュッセルで最初の個展を開き、エドゥアール・マネやジェームズ・マクニール・ホイッスラーに影響を受けた人物画を展示した。ロートレックやジャン=ルイ・フォランに影響を受けた絵画、版画も制作した。
1897年から1898年の冬にアルジェリアを訪れ、パリに戻った数か月後に発疹チフスにより27歳で亡くなった[2]。ブリュッセルに埋葬された。
作品
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画家シャルル・ミルサンドーの肖像画 (1899)
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縞柄の上着の少年(1898)
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ムーラン・ルージュで(1897)
ヒューストン美術館 -
ポスター作品「Les Maîtres de l'affiche」に掲載
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パリのカフェ (1897)
シュテーデル美術館 -
アンヴァリッドの露店 (1897)
Musée de l'Art wallon -
アントウェルペンの川の風景 (1895)
脚注
- ^ Eric Min, Een schilder in Parijs: Henri Evenepoel (1872-1899), De Bezige Bij, 2016.
- ^ Block, Jane; Hoozee, Robert; Stevens, Mary Anne (1994). Impressionism to Symbolism: The Belgian Avant-garde, 1880–1900. London: Royal Academy of Arts. pp. 118–120. ISBN 978-0-900946-46-2
参考文献
- Georges Willame: Evenepoel, Henri Jacques Edouard. In: Ulrich Thieme (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 11: Erman–Fiorenzo. E. A. Seemann, Leipzig 1915, S. 104–105
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