アンナ・フォン・エスターライヒ (バイエルン公妃)とは? わかりやすく解説

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アンナ・フォン・エスターライヒ (バイエルン公妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 03:00 UTC 版)

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アンナ・フォン・エスターライヒ
Anna von Österreich

称号 バイエルン公
出生 (1528-07-07) 1528年7月7日
神聖ローマ帝国
ボヘミア王国プラハ
死去 (1590-10-16) 1590年10月16日(62歳没)
神聖ローマ帝国
バイエルン公領ミュンヘン
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン公領ミュンヘン、聖母教会
配偶者 バイエルン公アルブレヒト5世
子女 一覧参照
家名 ハプスブルク家
父親 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世
母親 アンナ・ヤギエロ
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アンナ・フォン・エスターライヒ(Anna von Österreich, 1528年7月7日 - 1590年10月16日)は、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と皇后アンナ・ヤギエロの次女。バイエルン公アルブレヒト5世の妃。

生涯

幼少時から美しく育ち、様々な縁談が持ちかけられた。まずバイエルン公ヴィルヘルム4世の長男テオドール(1526年 - 1534年)、次いでフランスフランソワ1世の子オルレアン公シャルル(1522年 - 1545年)と婚約したが、2人とも婚約後ほとんどすぐに死去した。

アンナは結局1546年7月4日、17歳の時にレーゲンスブルクで、かつての婚約者の弟バイエルン公アルブレヒト5世と結婚した。2人はアルブレヒトの即位までランツフートのトラウスニッツ城で過ごした。

アンナとアルブレヒト5世の宮廷は、オルランド・ディ・ラッソが宮廷音楽家として仕えていたことで知られている。

子女

  • カール(1547年)
  • ヴィルヘルム5世(1548年 - 1626年) - バイエルン公
  • フェルディナント(1550年 - 1608年)
  • マリア・アンナ(1551年 - 1608年) - 叔父に当たる内オーストリア大公カール2世と結婚
  • マクリミリアーナ・マリア(1552年 - 1614年)
  • フリードリヒ(1553年 - 1554年)
  • エルンスト(1554年 - 1612年) - ケルン大司教



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