アリー・レザー・パフラヴィー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 16:36 UTC 版)
アリー・レザー・パフラヴィー علیرضا پهلوی |
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パフラヴィー家 | |
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アリー皇子(1976年)
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称号 | イラン皇子 |
出生 | 1966年4月28日![]() |
死去 | 2011年1月4日(44歳没)![]() |
埋葬 | カスピ海 |
父親 | モハンマド・レザー・パフラヴィー |
母親 | ファラフ・パフラヴィー |
アリー・レザー・パフラヴィー(ペルシア語: علیرضا پهلوی; 1966年4月28日 - 2011年1月4日)は、イランのパフラヴィー朝の最後のシャー(皇帝)、モハンマド・レザー・パフラヴィーの次男。
来歴
テヘラン出身。イラン革命勃発後、1982年に16歳で母と2人の妹と共にカイロからアメリカ合衆国へ亡命[1]。1988年にプリンストン大学で音楽の学士号を取ったのち[1]、1992年にコロンビア大学で中東文化の修士号を取得後[1]、ハーバード大学博士課程で古代イランを研究していた[1]。
2011年1月4日未明、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストンの自宅で自殺しているのが発見された[1][2]。享年44。拳銃による自殺とみられている[3]。妹レイラも2001年に自殺しており、長年ふさぎこんでいたという。遺灰はカスピ海に散骨された[4]。
脚注
- ^ a b c d e “Extra: Ali Reza Pahlavi, Shah's Younger Son, Takes His Own Life”. PBS. (2011年1月4日)
- ^ “Shah of Iran's younger son kills himself in US”. BBC. (2011年1月5日)
- ^ “アリレザ・パーレビ氏死去 故パーレビ元イラン国王の息子”. 共同通信. 47NEWS. (2011年1月5日) 2011年10月12日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “イラン元国王の息子が米国で自殺、カスピ海に散骨へ”. 朝日新聞. ロイター. (2011年1月6日) 2011年10月12日閲覧。[リンク切れ]
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