アニーシヤ・ブラーホヴァ
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アニーシヤ・アレクサンドロヴナ・ ブラーホヴァ |
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出生名 | Анисья Александровна Лаврова |
生誕 | 1832年1月8日 (ユリウス暦1831年12月27日) |
死没 | 1920年(88歳頃没) |
ジャンル | クラシック |
職業 | 歌手(ソプラノ) |
活動期間 | 1849年 - 1872年 |
アニーシヤ・アレクサンドロヴナ・ブラーホヴァ(ロシア語: Анисья Александровна Булахова, ラテン文字転写: Anisiya Aleksandrovna Bulakhova、1832年1月8日(ユリウス暦1831年12月27日) - 1920年)は帝政ロシア時代のオペラ歌手(ソプラノ)。
概要
- 家族
有名な音楽家の一族であるブラーホフ家の一員で、夫はサンクトペテルブルク帝室劇場の第1テノールとして20年以上にわたり活躍したパーヴェル・ブラーホフ。義父はモスクワ・ボリショイ劇場で活躍したテノール歌手ピョートル・アレクサンドロヴィチ・ブラーホフ、義兄は作曲家で多くのロシア・ロマンスを遺したピョートル・パヴロヴィチ・ブラーホフ。
- 経歴
本姓はラヴレンティエヴァ(Лаврентьева)、芸名としてラヴロヴァ(Лаврова)を名乗る。1843年よりモスクワ演劇学校で音楽教育を受け、1849年にモスクワのペトロフスキー劇場でマイアベーアの『悪魔のロベール』のイザベル役でデビューする。1851年にサンクトペテルブルクに進出[注 1]、ウェーバーの『魔弾の射手』のエンヒェンを歌い、まもなく帝室劇場のプリマドンナとなった。1854年に結婚、ダルゴムイシスキーの『ルサルカ』(1856年初演)では夫婦揃って主役級を演じた。ブラーホヴァは強い声ではなかったが、心地よい音色の持ち主であり、生き生きとした演技で観客を魅了したと言われる[2]。
1872年に舞台を引退し、1920年に没した。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 日本・ロシア音楽家協会編『ロシア音楽事典』カワイ出版、2006年、297頁(「ブラーホヴァ」の項)。ISBN 978-4-7609-5016-4。
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