パーヴェル・ブラーホフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 20:58 UTC 版)
パーヴェル・ペトロヴィチ・ ブラーホフ |
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出生名 | Павел Петрович Булахов |
生誕 | 1824年[注 1]![]() |
死没 | 1875年10月27日(51歳頃没)[注 2]![]() |
ジャンル | クラシック |
職業 | 歌手(テノール) |
パーヴェル・ペトロヴィチ・ブラーホフ(ロシア語: Павел Петрович Булахов, ラテン文字転写: Pavel Petrovich Bulakhov、1824年[注 1] - 1875年10月27日[注 2])は帝政ロシア時代のオペラ歌手(テノール)。
概要
- 家族
有名な音楽家の一族であるブラーホフ家の一員で、父親であるピョートル・アレクサンドロヴィチ・ブラーホフはモスクワ・ボリショイ劇場で活躍したテノール歌手。兄であるピョートル・ペトロヴィチ・ブラーホフは作曲家で多くのロシア・ロマンスを遺した。自身の妻であるアニーシヤ・ブラーホヴァはサンクトペテルブルクで活躍したソプラノ歌手である。
- 経歴
モスクワで生まれる。父親はまず一般教育を受けさせようと考え、彼をモスクワの第1ギムナジウムに入学させたが、父の死後、母親を説得してサンクトペテルブルク演劇学校入学を果たす[2]。1849年、演劇学校卒業と同時にサンクトペテルブルク帝室劇場に迎えられ、グリンカの『皇帝に捧げた命』ソビーニン役でデビューを果たし成功を収める。強くはないが非常にやわらかく心地よい声のリリック・テノールとして知られ、同劇場の第1テノールとして20年以上にわたり活躍した。一方で役柄の音楽的な側面に固執し、役の精神を掘り下げない、セリフを暗記しないことが多いなどの批判もあったと伝えられる[2]。ロシア・オペラではダルゴムイシスキーの『ルサルカ』の公爵、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の白痴(聖愚者)などの役柄を創唱した。1850年から1855年にかけてイタリア・オペラ団でも活躍し[1]、オベールの『フラ・ディアヴォロ』(ロレンツオ)、マイアベーアの『悪魔のロベール』(ランボー)などで知られた。歌手として活動する傍ら作曲も行ったが、出版の際、兄ピョートルの作品との区別が難しく(略すといずれも「П. Булахов」「П. П. Булахов」)混乱の一因となっている。
1875年10月27日、サンクトペテルブルクで没した[注 2]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 日本・ロシア音楽家協会編『ロシア音楽事典』カワイ出版、2006年、297頁(「ブラーホフ」の項)。ISBN 978-4-7609-5016-4。
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