アッシュル・ウバリト2世とは? わかりやすく解説

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アッシュル・ウバリト2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 16:43 UTC 版)

アッシュル・ウバリト2世Ashur-uballit II、治世紀元前612年-紀元前609年)は古代メソポタミア地方の新アッシリア帝国の最後の王である。前王シン・シャル・イシュクンニネヴェの陥落で死亡してから、残党を率いてハッラーンで立て直しを図ったが、新バビロニア軍の攻撃によりこれも失う。紀元前609年の戦闘を最後に史料から消え、ここに新アッシリア帝国は滅びた[4][5][6]


注釈

  1. ^ Reade(1998)は王太子だったアッシュル・ウバリト2世が前626年に「恐らく20代に入った」と論じている[1]
  2. ^ 文字通りには「王の息子」の意味であるが、通常は「王太子」と訳される
  3. ^ ナブー・マール・シャリ・ウツルの前任の総司令官シャマシュ・サッル・イブニ(Šamaš-sarru-ibni)は恐らくシン・シャル・イシュクンと共に前612年に死亡した[20]

出典

  1. ^ a b Reade 1998, p. 264.
  2. ^ a b c d e Rowton 1951, p. 128.
  3. ^ a b Radner 2013.
  4. ^ a b Radner 2019, p. 141.
  5. ^ a b c d e Yildirim 2017, p. 52.
  6. ^ Lange 2011, p. 581.
  7. ^ Kia 2016, p. 214.
  8. ^ a b Radner 2019, p. 136.
  9. ^ Lipschits 2005, p. 11.
  10. ^ Porter 1987, p. 1–2.
  11. ^ Lipschits 2005, p. 13.
  12. ^ Lipschits 2005, pp. 14–16.
  13. ^ Lipschits 2005, pp. 16–17.
  14. ^ a b c Radner 2019, p. 135.
  15. ^ Lipschits 2005, p. 18.
  16. ^ a b Reade 1998, p. 260.
  17. ^ Radner 2019, pp. 135–136.
  18. ^ a b Radner 2019, p. 137.
  19. ^ a b Radner 2019, pp. 137–139.
  20. ^ a b Radner 2019, p. 140.
  21. ^ a b Radner 2019, pp. 140–141.
  22. ^ a b c Lipschits 2005, p. 19.
  23. ^ Bassir 2018, p. 198.
  24. ^ a b c d Lipschits 2005, p. 20.
  25. ^ Lange 2011, p. 580.


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