アエミリウス・パーピニアーヌス
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アエミリウス・パーピニアーヌス(Aemilius Papinianus、142年? - 212年) は、古代ローマの法学者。
人物
その生涯の詳細は定かでない。エメサ出身とされる。クィントゥス・ケルウィディウス・スカエウォラの弟子。212年カラカラ帝から弟の共同皇帝ゲタの殺害を法的に正当化せよとの命に逆らって処刑された[1]。著書に抽象度の高い綱要である『定義録』、実務上の難問を扱う『解答録』がある。弟子にドミティウス・ウルピアーヌス、ユーリウス・パウルスがいる。
426年の引用法(レキス・キタチオニス)によって特別な権威とされた5名の法学者(ガーイウス、ウルピアーヌス、パウルス、モデスティーヌス)と並ぶ1人とされている[1]。
参考文献
- ウルリッヒ・マンテ著・田中実・瀧澤栄治訳『ローマ法の歴史』(ミネルヴァ書房)
関連項目
脚注
- ^ a b 穂積陳重『法窓夜話』岩波書店〈岩波文庫〉、1980年1月16日(原著1926年1月25日)。ISBN 978-4003314715。『法窓夜話』:新字新仮名 - 青空文庫
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