『原町地誌』
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明治24年(1891年)の旧原町(後の東吾妻町)による『原町地誌』には次のようにある。 下野押領使藤原秀郷三代孫従五位下左馬允兼光七代孫兼助(吾妻権守上野介と称す)其子兼成(吾妻権守と称す)兼成八代の孫吾妻太郎助亮建久六年以降在城す。後助亮尾張國にて戦死し、その子助光嗣いで我妻四郎と号す。助光故あり滅亡して城破壊す。(之を前吾妻氏と称す) — 『原町地誌』(『群馬縣吾妻郡誌』p.1092所載) しかし『原町地誌』の記述が何に基づいているかは不明である。
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