「腰之廻」の案出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 15:33 UTC 版)
『尾陽武芸師家旧話』では、久盛が竹内流を編み出したときの様子を以下のように伝えている。 久盛は、5尺に足りない短躯であったため、小兵でも剛強の男に勝てる武技を案出しようと三の宮の深山に篭り、37日間の断食行を始めた。満願の日、久盛の前に一人の山伏が現れた。山伏は花枝を1尺2寸に切り、葛かずらを7尺5寸に切り、早縄として5つの捕手術、25の腰之廻を伝授した。このことから、木刀は1尺2寸、捕縄は7尺5寸、色は紫(葛の色)を用いることになった。
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