「伯耆」の名称と表記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 16:34 UTC 版)
藤原宮跡から出土した戊戌年(文武天皇2年・698年)6月の年月が記された木簡に、「波伯吉国」とある。7世紀代の古い表記を多く残す『古事記』では、これと別の伯伎国という表記が見える。平安時代編纂だがやはり古い表記を残す『先代旧事本紀』には、波伯国造が見える。伯耆国風土記によると手摩乳、足摩乳の娘の稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」と言ったことから母来(ははき)の国と名付けられ、後に伯耆国となったという。
※この「「伯耆」の名称と表記」の解説は、「伯耆国」の解説の一部です。
「「伯耆」の名称と表記」を含む「伯耆国」の記事については、「伯耆国」の概要を参照ください。
- 「伯耆」の名称と表記のページへのリンク