V1飛行爆弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 22:18 UTC 版)
V-1の戦略的意義
V-1は現在の巡航ミサイルの始祖ともいえるものである。しかしながら、当時の制御技術ではV-1での精密誘導は不可能であった。 よって、事後評価としては、ロンドンへの都市爆撃ではなく、戦略地域への攻撃に振り向けていれば、より大きな効果があった[2]だろうから、ノルマンディー上陸作戦でも艦船が集中する港湾地区を攻撃目標に選んでいれば、上陸戦への脅威になり得たのではないか、との意見[3]もある。
V-1は、プロペラ機で迎撃可能な高度を、追撃可能な600km/h程度で飛翔してくるため、イギリス軍による迎撃は可能だった。ロンドン市民は平穏な生活が妨げられ、市民生活には大きな脅威となったが、ヒトラーのもくろんだ戦意の喪失にまでは至らせなかった。
なお、ドイツの報復兵器のうち、V-2は陸軍が所管・推進したのに対して、V-1は空軍が所管した。これは、V-2 がロケットで「巨大で高性能な砲弾」とみなされたのに対して、V-1は飛行爆弾で「無人の飛行機」と考えられたからである。
構造が複雑なV-2ロケットと比較すると、爆弾搭載量の割に構造が簡素でコストも安く、簡単に製造できるので大量生産され、実戦に投入された。 V-1はV-2のおよそ1/10の費用で開発、生産され、V-2とは異なり入手の比較的容易な燃料のみが必要で、徐々に蒸発する極低温の液体酸素のような酸化剤は不要であった。それでいて弾頭の重量は850kgあり、V-2と比較して破壊力は遜色なかった。 終戦までに24200機のV-1が発射されたのに対し、発射されたV-2は3500機だった。これを平均すると、V-1は110機/日で、V-2は16機/日の発射であった[4]。なお、実質的に与えた損害は、V-2よりもV-1の方が多かった事が戦後の調査で判明している。これは、V-1の弾頭はV-2の弾頭のように大気圏再突入に伴う加熱がないため飛行中に暴発しづらく、またV-2の弾頭は垂直に近い角度で高速で建物や地面に陥入してから爆発するので爆風が緩和されたが、V-1の弾頭は比較的浅い角度で低速で突入し建物の表面付近で爆発するので爆風の及ぼす範囲が広かった[4]。さらにV-2は前触れなく突然落下するのに対し、V-1の発する特有の音は上述のとおり一般市民に恐怖をもたらす心理的な効果があった[4]。このように、V-1はV-2よりも、様々な点で費用対効果に優れた兵器だった。
- ^ Cockchafer guide: how to identify and where to see 著:BBC Wildlife Magazine(Stuart Blackman, Richard Jones) 掲載サイト:discoverwildlife.com 参照日:2021年10月4日
- ^ カーユス・ベッカー 著、松谷健二 訳『攻撃高度4000―ドイツ空軍戦闘記録』フジ出版、1974年。
- ^ パウル・カレル 著、松谷健二 訳『彼らは来た―ノルマンディー上陸作戦』フジ出版。
- ^ a b c Steven J. Zaloga (2003-08-20). V-2 Ballistic Missile 1942-52. Osprey Publishing. p. 37-38. ISBN 9781841765419
- ^ ライフ ヨーロッパ第2戦線 P.193
- ^ 一色次郎『日本空襲記』文和書房 1972年 pp.40-41
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