15の夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 18:10 UTC 版)
背景
小学校5年生の時に東京都練馬区から埼玉県朝霞市に引っ越した尾崎は、転校先の学校に馴染めずに登校拒否を行うようになった[5][6]。学校に行かずにいた尾崎は、兄が購入して使用されていなかったクラシック・ギターを手に取り音楽に触れることとなった[5][6]。特にフォークソングやシンガーソングライターの曲に興味を持っていた尾崎は、その中でも井上陽水の詞の世界のシチュエーションに強く惹かれていた[6]。小学校6年生になると半年に渡り登校拒否を続け、その間は実家にて井上やさだまさし、イルカの曲を弾き語りで演奏していた[5][7]。
中学生になった尾崎は以前住んでいた練馬区の中学校に越境入学する[8]。旧友たちと再会した尾崎は学校に行くようになり、フォークソング・クラブに所属[8]。小学校の頃に毎日ギターを弾いていた尾崎は、同学年の誰よりもギターも歌も上手かったためすぐに一目置かれるようになり、声質が岸田智史に似ているということから文化祭で演奏し一躍学校内で有名な存在となる[9][6]。その後、青山学院高等学校へと進学した尾崎は、ジャケットを見ただけで購入したジャクソン・ブラウンのアルバム『孤独なランナー』(1977年)の収録曲「孤独なランナー(ランニング・オン・エンプティ)」を聴いて衝撃を受ける[9][10]。その影響で「町の風景」や「ダンスホール」などの曲を制作したが、ギター1本の弾き語りスタイルは時代遅れのフォークソングと捉えられると考えた結果誰にも公表せずにいた[11]。
その頃、中学時代の友人から促されたことを切っ掛けとして、CBSソニー主催の「SDオーディション」、ビクター主催のオーディションにそれぞれ応募する[12]。尾崎は「SDオーディション」に合格し音楽プロデューサーである須藤晃が担当となり、尾崎と須藤は月に一度会う機会を設けた[13]。会合の席で須藤は尾崎の作成したデモテープや大学ノートに綴られた歌詞に目を通していたが、尾崎の書く歌詞は須藤の望むような作品ではなかったため音楽に関する話はせず、尾崎の読む本の話や日常の話をするに留めていた[14]。その後、尾崎が書いてきた「十七歳の地図」の歌詞を見た須藤は「十七歳の少年そのものの言葉が息づいている歌」として感嘆し、ようやくレコーディングに取りかかることとなった[15]。
- ^ a b c 地球音楽ライブラリー 1999, p. 141- 田中康文「『SEVENTEEN'S MAP』 RECORDING MEMO」より
- ^ a b 地球音楽ライブラリー 1999, p. 145- 田中康文「『SEVENTEEN'S MAP』 RECORDING MEMO」より
- ^ a b c d 見崎鉄 2018, p. 276- 「第三部 尾崎豊という事件(尾崎論のためのノート)」より
- ^ a b 吉岡忍 2001, pp. 45–46- 「17」より
- ^ a b c 山内順仁 1989, p. 6- 「WORDS 1984 - 1988」より
- ^ a b c d 地球音楽ライブラリー 1999, p. 23- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」より
- ^ 地球音楽ライブラリー 1999, pp. 23–24- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」より
- ^ a b 地球音楽ライブラリー 1999, p. 24- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」より
- ^ a b 山内順仁 1989, p. 7- 「WORDS 1984 - 1988」より
- ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 25- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」より
- ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 26- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」より
- ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 28- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」より
- ^ 須藤晃 1998, p. 23- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
- ^ 須藤晃 1998, p. 40- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
- ^ 須藤晃 1998, p. 25- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
- ^ a b c d e f g h i j 須藤晃 1995, p. 25- 「『十七歳の地図』 15の夜」より
- ^ a b 地球音楽ライブラリー 1999, p. 135- 田中康文「『SEVENTEEN'S MAP』 RECORDING MEMO」より
- ^ 須藤晃 1998, p. 12- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
- ^ 尾崎豊の残した言葉 1997, p. 19- 「第1章“ARTERY” FRIEND 友達」より
- ^ a b 山内順仁 1989, p. 9- 「WORDS 1984 - 1988」より
- ^ “『15の夜』は実体験だった…今なお、若者の心を捉え続ける尾崎豊の生き様”. FNNプライムオンライン. フジテレビジョン (2019年4月25日). 2020年5月20日閲覧。
- ^ 見崎鉄 2018, p. 275- 「第三部 尾崎豊という事件(尾崎論のためのノート)」より
- ^ 須藤晃 1998, p. 13- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
- ^ 吉岡忍 2001, p. 126- 「45」より
- ^ a b c d e 地球音楽ライブラリー 1999, p. 84- 落合昇平「YUTAKA OZAKI SINGLE GUIDE」より
- ^ “尾崎豊トリビュート、公式ページにて特典映像ほか”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2004年3月16日). 2021年10月10日閲覧。
- ^ “スコット・マーフィー、ファン30人のために「15の夜」絶唱”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2009年6月24日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ “尾崎豊の「15の夜」をカヴァーしたスコット・マーフィーがライヴイベントを開催!!”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク (2009年6月24日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ “スコット・マーフィー、大人気J-POPカヴァー・シリーズのベスト盤”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2011年11月10日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ “スコット・マーフィーが語る「衝撃を与えたJ-POP」5曲”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2011年11月16日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ “島津亜矢、大人気カバーアルバムのシリーズ最新作『SINGER6』9月25日発売”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2019年7月31日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ a b c d 地球音楽ライブラリー 1999, p. 85- 落合昇平「YUTAKA OZAKI SINGLE GUIDE」より
- ^ 須藤晃 1995, p. 63- 「『回帰線』 ダンスホール」より
固有名詞の分類
- 15の夜のページへのリンク