鰊粕
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脚注
参考資料
- 山田健、矢島睿、丹治輝一『北海道の生業2 漁業・諸職』明玄書房、1981年。ASIN B000J7S2OU。
- 小林一男、今村充夫、本庄清志、池田亨『北中部の生業1 農林業』明玄書房、1980年。ASIN B000J82TP2。
- 富山県『富山県史 通史編Ⅲ近世 上』富山県、1980年。ASIN B000J7O00A。
- 大山町『大山の歴史』大山町、1990年。
- 日本の食生活全集 富山編集委員会『聞き書 富山の食事 (日本の食生活全集)』農文協、1989年。ISBN 978-4540890048。
- 北海道新聞社『北海道の民具』北海道新聞社、1993年。ISBN 978-4893636720。
- 田島佳也『近世北海道漁業と海産物流通』清文堂出版株式会社、2014年。ISBN 978-4792410124。
- 北原モコットゥナㇱ、谷原晃久『アイヌの真実』ベストセラーズ、2020年。ISBN 978-4584126097。
- 武井弘一『イワシとニシンの江戸時代』吉川弘文館、2022年。ISBN 978-4642084055。
- 中山茂大『神々の復讐』講談社、2022年。
外部リンク
ニシン漁の栄華と夢 - ウェイバックマシン(2015年10月23日アーカイブ分)
注釈
- ^ 当地では、鰊粕はじめ肥料を商う商売を屎物商売(くそものしょうばい)と呼んでいた。金肥の普及以前、肥料の基本だった人間の大小便が名の由来である
- ^ 「トリ」は、魚から油を搾り「取って」残ったもの。つまり〆粕である。イワシを干しただけで油を搾り取っていない干鰯は「トリ」ではない
- ^ 「統」(とう)は、漁場で建て網一枚を運営するための組織単位である。大船頭をはじめ配下の漁夫、陸上の運搬係、漁具修理の大工、炊事の女衆をふくめ30人以上の人員が必要とされる。
- ^ 「敷」(しき)は、薪を計測するための単位である。基本的には長さ2尺(約60cm)、直径1尺2寸(約36cm)の丸太を六つ割りにした「三方六」の薪80から85本が「1敷」だが、三方六の薪1敷分を積み上げた体積(横6尺、奥行き2尺、高さ5尺)に収まる薪の量も1敷となる。ちなみに戦前の北海道東部十勝地方では、1年間に一般家庭1世帯で3から4敷の薪を消費した。
出典
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 12.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 13.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 20-22.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 21.
- ^ a b 北海道の生業2 1981, p. 56.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 57.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 8.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 61.
- ^ a b 北海道の生業2 1981, p. 63.
- ^ 北海道の民具 1993, p. 151.
- ^ a b c 北海道の生業2 1981, p. 62.
- ^ 北海道の生業2 1981, p. 64.
- ^ 北海道の民具 1993, p. 152.
- ^ 北海道の民具 1993, p. 153.
- ^ 北原モコットゥナㇱ 2020, p. 136.
- ^ a b c 近世北海道漁業と海産物流通 2014, p. 467.
- ^ イワシとニシンの江戸時代 2022, p. 121.
- ^ a b 近世北海道漁業と海産物流通 2014, p. 468.
- ^ a b 北中部の生業1 農林業 1980, p. 141.
- ^ 富山県史 通史編Ⅲ近世 上 1982, p. 1162.
- ^ a b c 北中部の生業1 農林業 1980, p. 142.
- ^ 富山県史 通史編Ⅲ近世 上 1982, p. 1163.
- ^ a b 富山県史 通史編Ⅲ近世 上 1982, p. 1164.
- ^ 大山の歴史 1990, p. 176.
- ^ a b 富山県史 通史編Ⅲ近世 上 1982, p. 1165.
- ^ a b イワシとニシンの江戸時代 2022, p. 128.
- ^ イワシとニシンの江戸時代 2022, p. 130.
- ^ 富山の食事 1989, p. 24.
- ^ 富山の食事 1989, p. 127.
- ^ a b 北海道の生業2 1981, p. 65.
- ^ 中山茂大 2022, p. 257.
- ^ 北原モコットゥナㇱ 2020, p. 136-137.
- ^ 北原モコットゥナㇱ 2020, p. 138-139.
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