飯田市美術博物館 飯田市美術博物館の概要

飯田市美術博物館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 20:26 UTC 版)

飯田市美術博物館
IIDA CITY MUSEUM
飯田市美術博物館
施設情報
館長 滝沢具幸[1]
事業主体 飯田市
建物設計 原広司設計+アトリエファイ建築研究所
延床面積 4,938.16m2[1]
開館 1989年(平成元年)10月8日[1][2]
所在地 395-0034
長野県飯田市追手町2-655-7[1]
アクセス JR東海飯田線飯田駅下車徒歩20分。又は飯田駅前丘のまちプチバス プッチー(4月初旬から11月下旬の土日祝日晴天時のみ)
外部リンク 飯田市美術博物館
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歴史

二の丸跡にあった時代の旧制飯田中学校(左)と長野県飯田長姫高校(右)

かつてこの地には飯田城二の丸があったが、1884年(明治17年)11月には二の丸跡に長野県中学校飯田支校(後の長野県飯田中学校、現在の長野県飯田高等学校)が建てられ[3]、1925年(大正14年)12月に下伊那郡上郷村に移転するまでこの地にあった[3]。続いて長野県飯田長姫高校が建てられ、1982年(昭和57年)8月に下伊那郡鼎町に移転するまでこの地にあった。

所蔵作品 菱田春草『菊慈童』[4]

飯田市出身の画家である菱田春草の記念館が欲しいという市民の願いは戦後まもなくからあり、また飯田下伊那の自然・歴史・文化を紹介する博物館が欲しいという声もあった[5]。そんな折に飯田長姫高校の郊外への移転が決定したため、飯田市は美術館と博物館の機能を併せ持つ施設の建設を計画した[5]。1983年(昭和58年)には準備事務局が設置され、その後基本構想委員会、建設研究委員会、展示研究委員会が組織されて検討を行った[5]。1986年(昭和61年)9月からは建設に先立って飯田城址の発掘調査が行われている。

原広司設計+アトリエファイ建築研究所の設計で1987年(昭和62年)6月に着工。1988年(昭和63年)10月に落成式を行ってプレオープンし、企画展示やプラネタリウムなど一部の公開が始まった。展示工事が完了した1989年(平成元年)10月8日に正式開館した[1]。なお、飯田市美術博物館は1937年(昭和12年)に市制施行した飯田市の市制施行50周年記念事業の一環である[6]

遺族から数百点に及ぶスケッチや下絵、未完成作品が寄贈、寄託されたことにより2017年(平成29年)9月30日からこれまで困難であった菱田春草作品の常設展示が始まった[7]

飯田市美術博物館は、2023年10月16日から2024年3月8日まで、施設の改修工事のために長期休館していた。

飯田市美術博物館(来館者数推移)[8]
年度 人数
1989
  
33,371
1990
  
36,097
1991
  
38,557
1992
  
40,319
1993
  
38,484
1994
  
40,265
1995
  
29,787
1996
  
27,570
1997
  
32,291
1998
  
28,820
1999
  
23,965
2000
  
21,703
2001
  
23,473
2002
  
18,906
2003
  
57,834
2004
  
22,388
2005
  
27,514
2006
  
21,886
2007
  
40,899
2008
  
29,261
2009
  
32,376
2010
  
29,883
2011
  
37,846
2012
  
37,085
2013
  
35,096
2014
  
31,141
2015
  
32,733
2016
  
30,744

特色

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

伊那谷の自然と文化を基本テーマとし、美術、自然科学及び人文科学に関する資料を収集し、保管し、展示して、市民の利用に供し、その教養、調査研究等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究を行うことを目的とする。建物の設計は原広司設計+アトリエファイ建築研究所[9]。鋸刃のような屋根は南アルプスをイメージして設計されている[9]。市民が作品を発表したり、展示したりできる展示スペースも整備している。[10]スピノサウルスの全身復元骨格を日本で唯一常設展示している。


  1. ^ a b c d e 施設概要”. 飯田市美術博物館. 2015年3月23日閲覧。
  2. ^ 飯田市美術博物館開館”. 東文研アーカイブデータベース. 2015年3月23日閲覧。
  3. ^ a b 長野県飯田中学校 長野県飯田高等学校 校史編纂委員会『長野県飯田中学校 長野県飯田高等学校 校史Ⅰ』長野県飯田高等学校同窓会、1980年、34頁。 
  4. ^ 絹本著色菊慈童 - 飯田市ホームページ
  5. ^ a b c 伊那史学会『保存版 飯田市の70年』一草舎、2007年、p.160
  6. ^ 飯田市役所総務部庶務課『市政の概要 平成元年版』飯田市役所、1990年
  7. ^ 信濃毎日新聞(2017年8月30日朝刊22面)
  8. ^ 飯田市美術博物館年報, 創刊号〜第27号より
  9. ^ a b 「飯田市美術博物館」『新建築』新建築社、1989年4月号
  10. ^ 飯田市教育委員会『わたしたちの飯田市』2015年
  11. ^ a b c d 『一本桜の里 南信州・伊那谷』6頁
  12. ^ a b c d e f 『信仰と史跡の桜 南信州・伊那谷』100頁
  13. ^ 「伊那谷の岩石園」開設 飯田市美術博物館、標本25点”. 信濃毎日新聞 (2016年8月27日). 2016年8月28日閲覧。


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