西郷従理 西郷従理の概要

西郷従理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 07:20 UTC 版)

略伝

駐日ロシア公使シャール・ド・スツルヴェに従って7歳で渡露、皇后マリア・フョードロヴナや、皇弟アレクセイ大公ロシア語版英語版アレクサンドル3世の弟)に可愛がられ、皇弟と皇后を代父母として正教会洗礼まで受けた(聖名:アレキセイ)[1]。その後、スツルヴェが駐米公使に転任したのに伴い、ワシントンに移ったが、腸チフスに感染し、1884年(明治17年)12月10日、ワシントンで死去した(10歳2か月)。

死後

死去の前日、従叔父の大山巌が欧米視察の途中に見舞いに来ており、従理死去の急報を受けて再度駆けつけた大山は枕頭で号泣したとされる。従理の遺体は、大山の手配によって日本へ送られ、埋葬式は神田駿河台の正教会でニコライ主教によって執り行われた(当時まだ同地にニコライ堂は建設されていない)。植村正久は西郷家が従理を正教会式に葬送したことについて、葬儀における信教の自由が認められていない世相の中で、社会に与えた影響が小さく無かったと言及している[1]。視察を終えて帰国した大山は真っ先に西郷家へ駆けつけ、弔辞を述べるとともに、従理の最期の模様を従道と清子へ語った。その際、従道と清子は「あいがと、あいがと」と大山の配慮に感謝しながら泣き続けたという。墓所は多磨霊園

脚注

外部リンク


  1. ^ a b ニコライ・カサートキン (著), 中村健之介 (編集, 翻訳) 『ニコライの日記(上)―ロシア人宣教師が生きた明治日本』pp.444 - 445、編訳者中村による注 岩波文庫 ISBN 978-4-00-334931-1


「西郷従理」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  西郷従理のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西郷従理」の関連用語

西郷従理のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西郷従理のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西郷従理 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS