荒谷望誉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 02:16 UTC 版)
退場曲
- 「元祖天才バカボンの春」(こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会)[7]
- 「ロッキー」 荒谷が昔の荒谷らしい試合をしたり、次の試合に何かある時にだけ使用される勝利の曲。
人柄
- 酒好きであり、ニックネームの「湘南酔虎伝」は実生活からである。
- 明るくひょうきんで天然ボケな性格のため、家族やレスラー仲間を困惑させた。
- 小島聡を「小島さん」と呼び、小島も荒谷を「荒谷さん」と呼んだ。これは小島の方がプロレスラーとして先輩ではあるが、年齢は荒谷が上だったこともある。
- 花屋のスポンサーを獲得したこともあり、さらに2007年12月にはつぼ八をコスチュームに加える。12月9日の大阪大会では『荒谷つぼ八』とコールされた。
- 体重を詐称し、ジュニアヘビー級のバトルロイヤルに出場したこともある。
- ダイエット後のスリムな体型は長続きせず、リバウンドして120kgに戻ってしまった。
- 菊タローとのタッグは「バカ兄弟」と呼ばれた。
- 娘の小学校に、愛犬(すこし)の散歩をしていた際に学校関係者から不審者扱いされ、その日小学校は「不審者が出た」という理由で集団下校させている。
- 一時期メキシコにルチャ修行をしていたが、参戦していたその年の地元のルチャ雑誌にてワースト外国人レスラーという名誉を戴く(論外談)。
- 荒谷の作るちゃんこ鍋は美味しいと評判で、さらに具の並べ方も綺麗に飾られている。「週刊プロレス」の「ちゃんこ鍋」特集では、塩つみれちゃんこを誌上で披露した。
- バトルロイヤルでは最後まで残ることが多かったが、大抵負けてしまっている。
哀愁
前座に起用されるようになり、そのダメっぷりで観客の失笑を誘うようになった荒谷。さる2006年晩秋の後楽園大会。菊タローから最強タッグへの出場を打診されるも、裏切られ股間を蹴られる。リング上でうずくまる荒谷の姿に観客は哀愁を感じた。会場には切ない曲が流れ、なんともいえない雰囲気が会場を包んだ。
地方会場でも渕や菊タローにもてあそばれ、リングにひとり取り残されることが多い。2007年2月17日の両国大会前にリキシから「8流レスラーの荒谷なんかと組めない」とタッグ結成を拒絶される。代理でジョニー・ダンという金髪の男が出場した(荒谷の大相撲時代の最高位序二段のもじり)ものの、顔や試合の呆気なさは完全に荒谷だった。曙から64でやはり呆気なくフォールを取られたため、試合後リキシが激怒し、必殺技スティンク・フェイスを喰らう破目になった。全日本プロレスの特別興行では女子プロレスラーの華名からも拒絶され、強烈な張り手を喰らい、鼻血を出したこともある。
他団体からベルトを狙う挑戦者が現れた場合、門番的な役割としてシングルマッチを行っていたが、その大半にあっけなく敗れ去っている。高山善廣との試合ではわずか53秒で敗れた。
- ^ W★INGプロモーションの興行で、高杉正彦がウルトラセブンとしてリングに上がった際、パートナーとして、このリングネームを使っている。
- ^ バルコニーダイブを行ったのは松永光弘に続いて2人目だが、荒谷は頭から飛び下りている。
- ^ 当初は冬木弘道が率いる『冬木軍』の一員として参戦したが、すぐに正規軍入りしている。
- ^ なお、みのるが居ないときにはなぜか荒谷とブッチャーがよく組み、勝率も非常に高い。
- ^ 。しかし結果はわずか1勝で終わる。しかもその1勝もTARU&ゾディアックの反則によるもので実質は全敗だった。
- ^ 東京スポーツ・2011年5月22日付 5面
- ^ プロレスラーとしては史上初の「退場時のテーマ曲」である。
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