荏原郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 15:38 UTC 版)
注釈
- ^ 平川が豊嶋郡と荏原郡の境であったとすると、現在の江戸城の所在地は荏原郡(厳密に言えば、同郡桜田郷)に属していたことになり、江戸城の由来として長く言われてきた「平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、後の本丸・二ノ丸辺りの台地上に置かれていた」とする所説は成立しないことになる(江戸氏は豊嶋郡江戸郷を本貫とする武士であるため、荏原郡桜田郷に居館を置くことはない)[1]。
- ^ 下表では、1村の中で複数の名称を持つ町村や、複数の町村名が併記されている村は1村として数える。三田町を村として数え、町地の2町と「○○村のうち」を除いて数える。
- ^ 『東京府史 行政篇 第1巻』1033頁では9月10日。
- ^ 『東京府荏原郡誌』83頁では慎吉とあるが誤りか。
出典
- ^ 山田邦明「古代・中世の江戸」(初出:藤田覚・大岡聡 編『街道の日本史20 江戸』(吉川弘文館、2003年) ISBN 978-4-642-06220-6 P35-40./所収:山田『鎌倉府と地域社会』(同成社、2014年) ISBN 978-4-88621-681-6)
- ^ 蘆田伊人 1929, pp. 226–227.
- ^ 蘆田伊人 1929, p. 227.
- ^ 蘆田伊人 1929, p. 226.
- ^ ウェン・ポロカ・ペッ(悪い・後戻りする・川)より。この事より周囲は縄文時代頃から多摩川や渋谷川などによる河川の氾濫が相次いでいたと思われる。
- ^ 蘆田伊人 1929, p. 234.
- ^ 『東京都の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、2002年。ISBN 4-582-49013-1。
- ^ 小松 1924, 82-83頁.
- ^ a b 東京府 1935, 994頁.
- ^ a b c 東京府 1935, 1012頁.
- ^ a b c d 東京府 1935, 1013頁.
- ^ a b 東京府 1935, 1033頁.
- ^ 東京府 1935, 1056頁.
- ^ 東京府 1935, 1057頁.
- ^ 東京府 1935, 1067頁.
- ^ 東京府 1935, 1068頁.
- ^ 東京府 1935, 1071頁.
- ^ 東京府 1935, 1072頁.
- ^ 東京府 1935, 1075頁.
- ^ 印刷局 1924, 924頁.
- ^ 内閣印刷局 1925, 278頁.
- ^ 内閣印刷局 1926, 294頁.
- ^ 東京府 1935, 1090頁.
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