米英戦争のカナダ戦線 ナイアガラ方面作戦、1814年

米英戦争のカナダ戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 03:19 UTC 版)

ナイアガラ方面作戦、1814年

1814年の中頃までにアメリカ軍のジェイコブ・ブラウンやウィンフィールド・スコットといった将軍達が、アメリカ軍の戦闘能力と規律を劇的に変革させた。その新しくなった攻撃でナイアガラ半島のエリー砦を占領できた。スコットは、7月5日チッパワの戦いで同じような戦力のイギリス軍から決定的な勝利を得た。さらに進軍しようとしたが7月25日のランディーズ・レーンの戦いは激しい戦闘後に引き分けに終わった。アメリカ軍は一旦撤退したが、イギリス軍によるエリー砦包囲戦を持ち堪えた。アメリカ軍は食料が不足してきたのでナイアガラ川を越えて撤退することになった。

一方、ナポレオン・ボナパルトの退位により、イギリス軍はウェリントンの部下である4人の有能な将軍達の下に15,000名の将兵を北アメリカに送ってきた。その半分近くは半島戦争の古参兵であり、残りも守備隊から来ていた。この軍隊と共に、合衆国に対して攻勢を掛ける指示書も届いた。イギリス軍の戦略が変わり、アメリカ軍と同じように休戦交渉のための利点を求めるようになった。総督のプレボスト卿はニューヨーク州とバーモント州に対する侵攻の指示を受けた。プレボストはアメリカ軍よりも遙かに強力な大部隊を侵攻させた。しかし、ニューヨーク州プラッツバーグに到着すると、急遽建造された搭載大砲数36門の軍艦コンファイアンスに乗艦したジョージ・ドーニー艦長の率いる艦隊の到着が遅れたので攻撃を見合わせた。プレボストはドーニーに時期尚早の攻撃を掛けさせてしまい、期待していた陸軍の援護を得るのに失敗してしまった。ドーニーは9月11日のプラッツバーグ湾で行われたプラッツバーグの戦い(シャンプレイン湖の戦い)で敗れ、ドーニー自身も戦死した。アメリカ軍はシャンプレイン湖の支配権を確保した。後の大統領セオドア・ルーズベルトは米英戦争の偉大な海軍の勝利と称えた。プレボストは、その上官も驚いたことに、海軍の優位性が無くなったあとではアメリカ領内に留まっているのは危険に過ぎると言って、退却してしまった。プレボストの政敵や軍隊の中の敵が彼の罷免を強いた。ロンドンで開かれた海軍軍法会議では、プラッツバーグ湾敗軍の生き残り士官の証言で、この敗北は基本的にプレボストが艦隊に時期尚早の攻撃を強い、予定された陸軍の援護を得られなかったとした。ところが、プレボスト自身の軍法会議が開かれる前に、プレボストが急死した。カナダ人がブロック指揮下の民兵は功績を挙げたのに、プレボストはできなかったと主張したため、プレボストの評判はさらに下がった。しかし、近年の歴史家はプレボストの評価をより友好的に捉え、ウェリントンとの比較ではなく、アメリカの敵との比較で評価している。限られた資源でカナダを防衛するために採ったプレボストの準備は、活力的であり、着想が良くまた総括的であり、勝ち目の少ない中で、アメリカの侵略を妨げるという重要な目標を成し遂げたとした[3]


  1. ^ Peter Burroughs, "Prevost, Sir George" in Dictionary of Canadian Biography Online online
  2. ^ See "Mallory, Behajah" in Dictionary of Canadian Biography Online online and "WILLCOCKS (Wilcox), JOSEPH" in ibid online
  3. ^ Peter Burroughs, "Prevost, Sir George" in Dictionary of Canadian Biography Online online






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