福間香奈 人物

福間香奈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 16:03 UTC 版)

人物

  • 幼少時に高橋和から受けた「毎日詰将棋を解くとよい」とのアドバイスを、女流プロとなった現在でも実践している[75]
  • 豊島将之がインタビュー内で努力型棋士として里見の名前を挙げている。「ご飯を食べているときに盤を出されたのは、過去をさかのぼってみても三浦弘行先生と里見さんしかいないです(笑)」と過去に将棋を指していた時期のエピソードも披露している[76]
  • 中学時代、週刊少年ジャンプ連載マンガ『ろくでなしBLUES』を愛読していた[77]
  • 中学時代、すでに女流棋士になっていたが、体を鍛える目的もあって卓球部に所属。3年生のときには県大会にも出場[78]。(本人は「まぐれで勝てた」と語っている[78]。)
  • 「真面目でストイックな印象が強いが、すごくお茶目で明るくて、気さく。よく笑うし冗談も言う。」「いつもまっすぐで、等身大で生きている。」とマイナビ出版将棋編集者が語っている[79]
  • 父親の影響で劇画空手バカ一代』を愛読しだしたことで、空手道キックボクシングで一時代を築いた山崎照朝の熱狂的ファンになり、20歳で女流王位を獲得した里見は山崎と念願の対面を果たした[80]
  • 女流棋士の川又咲紀は妹。
  • 夫の福間健太は奨励会元三段で、現在はネット将棋教室の講師を務めている[81]。健太の兄の福間貴斗は元二段で、現在は大阪で将棋バー「ルゥク」を経営している[82]

ブログ

  • キラリっ娘のそよ風日記」(キラリっこのそよかぜにっき)というタイトルで、2010年5月15日まで4年間ブログを公開していた[83]。執筆者は里見のほか、関西将棋連盟所属の女流棋士である井道千尋(後に東京に移籍)、室田伊緒の3人での共同執筆。
  • 村田智穂と岩根忍の「お気楽コンビ」が活動を休止し、2006年5月にこれを引き継ぐ形で3人によるブログが開始された(同年4月の 「お気楽コンビ」ラストライブ でゲスト出演した里見と室田が、活動を引き継ぐと発表している)。
  • ブログ名は活動発表後に公募され、いくつかの案を合体させてこの名称になった。また、共同執筆の3人を「キラリっ娘」と呼ぶことも多い。
  • 上記の通り2010年5月15日で共同ブログの更新を終了。その後里見は Kana Log オフィシャルブログ を開設してブログ執筆を続けていたが、同年10月に更新を停止。その後は、駒桜(日本将棋連盟女流棋士会によるファンクラブ、2015年3月末で解散)でブログを続けた。

昇段・昇級履歴

女流

  • 2003年10月00日 - 女流育成会入会
  • 2004年10月01日 - 女流2級 = 女流プロ入り
  • 2006年04月01日 - 女流1級(女流名人位戦B級入り・女流王将戦本戦入り)
  • 2007年02月22日 - 女流初段(レディースオープン・トーナメント準優勝)
  • 2008年09月29日 - 女流二段(タイトル挑戦 = 第16期倉敷藤花挑戦)
  • 2009年04月01日 - 女流三段(タイトル1期 = 第16期倉敷藤花獲得)
  • 2010年02月10日 - 女流四段(タイトル3期 = 第36期女流名人獲得)
( 2011年05月21日 - 奨励会入会、女流棋士かつ奨励会員となる )
  • 2011年10月18日 - 女流五段(タイトル7期 = 第33期女流王将獲得)
( 2018年03月31日 - 奨励会退会 )
  • 2020年04月01日 - 女流六段(「類いまれなる成績」による)

奨励会

  • 2011年05月21日 - 1級(入会)
  • 2012年01月07日 - 初段(12勝4敗)
  • 2013年07月29日 - 二段(12勝4敗)
  • 2013年12月23日 - 三段(12勝3敗)
  • 2018年03月31日 - 退会(26歳の年齢制限を迎えたことにより)

  1. ^ 育成会は2008年度限りで廃止された。なお2003年前期以前の旧制度では島井咲緒里も2期で通過している。
  2. ^ 女流名人位戦は、2007年1月当時は、最高序列の女流タイトル戦であった。2006年2月に女流名人を奪取した矢内理絵子は、女流棋界のトップに立っていた。「矢内理絵子#経歴」を参照。
  3. ^ 女流タイトル獲得年少記録は、第1位が林葉直子(1968年1月24日生まれ、女流王将を1982年4月27日に獲得、14歳3か月)、第2位が中井広恵(1969年6月24日生まれ、女流名人を1986年1月20日に獲得、16歳6か月)、第3位が里見香奈(1992年3月2日生まれ、倉敷藤花を2008年11月23日に獲得、16歳8か月)[14]、第4位が加藤桃子(1995年3月9日生まれ、女流王座を2011年12月12日に獲得、16歳9か月)[15]。【2012年2月6日現在】
  4. ^ 里見は、2008年9月29日付で、「タイトル挑戦」の規定を満たして女流二段に昇段していた。里見は、同年11月23日に第16期倉敷藤花を獲得して女流三段の規定を満たしたが、当時の昇段規定では、「同年度(4月1日-翌年3月31日)に2回以上の昇段・昇級」は認められなかったため(将棋の段級#女流棋士を参照)、里見は翌2009年度の初日である2009年4月1日付で女流三段となった[16]
  5. ^ 稲葉四段は2008年4月にデビューしたばかりで、里見に負ける前日の2009年1月8日までの2008年度(2008年4月-)は24勝(全棋士中4位)、勝率.750の快進撃をしていた。
  6. ^ 里見が更新する前の最年少記録は、石橋幸緒の23歳1か月。
  7. ^ その後、岩根忍が2009年7月8日に対男性棋士公式戦「初戦」で勝利して、最速記録を更新している。
  8. ^ 女流四段昇段時の年齢は、里見は17歳11か月、中井広恵は19歳、清水市代は23歳。ただし、現行の昇段規定になる前に、林葉直子が15歳で「タイトル3期(現行規定であれば女流四段に昇段)」を達成した事例がある。
  9. ^ 連盟は、里見が奨励会を受験した際の対外発表で、「日本将棋連盟 2011年4月23日 『里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花が奨励会1級編入試験を受験』」、「日本将棋連盟 2011年5月21日 『里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花、奨励会1級編入試験に合格』」と「奨励会『編入』」という表現を用いている。しかし、2011年4月現在で19歳1か月だった里見が、奨励会1級での『入会』試験を受験するのは、日本将棋連盟 『奨励会』 の規定「級位(師匠推薦あり)の受験資格:満19歳以下(当年8月末日)で、日本将棋連盟正会員から奨励会受験の推薦を得た者」「満19歳の受験資格は1級」に沿っている。奨励会に1級で入会した例は里見の前から存在し、プロ棋士への昇格を果たした者では、櫛田陽一六段(1983年(昭和58年)に18歳<または19歳>で1級にて奨励会入会、1987年(昭和62年)3月に22歳で四段に昇段[24])の例がある。里見の入会試験が規定から外れている(特例である)のは、規定で「試験日:級位者は、毎年1回、8月に3日間」となっているのを、里見については実施時期を変えて「4月 - 5月」に実施したこと、および奨励会規定にはない事由による一次試験の免除、ということである。ただし、試験の対局相手全員が女性奨励会員とされたことについて、加藤桃子は「(里見は19歳で年齢的に奨励会1級受験が可能だったのに)なぜ試験の相手が私たちなのとは思いました」と語っている[25]
  10. ^ 里見が編入試験を受験する以前は、奨励会と女流棋士の重籍(掛け持ち)は認められず、奨励会員となった女流棋士は女流棋戦にも出場できなかったが、里見に関しては受験発表時に重籍が認められていた[27]。また、合格後の2011年5月26日に、日本将棋連盟から女性奨励会員の女流棋戦出場が公式に認められた[28]
  11. ^ 9期目のタイトルを獲得した際に、登場したタイトル戦の全てで奪取・防衛を果たしていること、タイトル戦で9割近い勝率を上げていることが報じられた[32]
  12. ^ それまでの男性棋戦における女流棋士の連勝記録は3であり、伊藤沙恵(2018年度に達成)[57]、里見香奈、石橋幸緒の3名が並んでいた[56]
  13. ^ 2021年7月の王位戦予選(対黒田尭之五段戦)での勝利以降の里見香奈の本対局前の公式棋戦成績は9勝4敗。棋士編入試験の受験資格要件を満たす今後の星取りとして、○(1勝)か●○(1勝1敗/10勝5敗)か●●○○(2勝2敗/10勝5敗)が求められるところ、本対局の勝利で10勝4敗、勝率0.714の成績となり要件を満たした。





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