真理党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 15:39 UTC 版)
選挙結果
開票結果は、真理党自身の予想を大きく裏切った。麻原は「泡沫候補とか言っているが、今に見てろよ」と語り[9]、自身が5 - 6万票を獲得して当選すると信じていたが、実際には5人当選区で1,783票にとどまり13位で落選する大惨敗だった。他の候補も1,000票を超えたのは神奈川3区から出馬した中川智正のみで、ほかは麻原の半分未満の票数しか獲得できず、当時立候補者1人あたり200万円だった供託金計5,000万円が没収された[10]。
これに酷く落胆した麻原は、一時教団の代表を辞めるなどと弱音を吐いていたが、長女(ドゥルガー)と三女松本麗華が「票のすり替えがあったのでは」と発言し、麻原も国家権力の陰謀を主張するようになった[11][12]。自身が出馬した東京都第4区にて、開票に不正がないか確かめるために信者3人にわざと本名の松本智津夫で投票させた上で、開票時の立会の際に票を確認させ、(実際には大量の票の中からたった3票の「松本票」を発見するのは至難の業であるが)ここで松本票を確認できなかったことを選挙不正があると喧伝する材料にした[13]。麻原は在家信者に対する言い訳を考えるよう上祐や大内利裕に指示し、そこで「フリーメイソンが票を自動的に書き換える装置を使って票をすりかえた」という話が考案された[14]。 麻原は開票後に富士山総本部にて出家信者らに対し次の通りコメントした。
今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。いや、もっと別の言い方をするならば、国家というものに負けたと、いうことに尽きると思います。で、今回の結果を、まあ君たちはどう分析してるかわからないけども、わたしは初めは、狐につままれたような状態で、あの結果の推移を見ました。そして、まあ、それが決定されたあと、わたしの長女であるドゥルガー、それから、三女であるウマー・パールヴァティーが、
「お父さん、トリックがあったんじゃないの?」
と。つまり、選挙管理委員会を含めた大がかりなトリックがあったんじゃないかという話を、まあ、子供たちがわたしにしたわけです。
で、君たちも知ってるとおり、真理党の基礎票というのは一万数千票はあったはずと。ところがこの一万数千票が、少なくとも基礎票である一万数千票が、票になって出てこなかったと。そして、わずか千数百票と。で、気づいた人もいるかもしれないけども、東京周辺部、つまり千葉・埼玉・神奈川の票は出ていると。ところが東京の票は出ていないと。だから、考えられることは、選管絡みの大きなトリックがあった可能性はあると。わたしはそう考えています。今ですね、これは。つまり、国家に負けたと。[15]
既に坂本弁護士一家「失踪」事件でマスコミの注目を浴びていた麻原は、開票速報を伝える各テレビ局の番組に出演し、真理党が落選したのは、国家権力による票数操作の陰謀のためと主張した(なお、いわゆる「泡沫候補」に対する報道上の差別は確かに存在し、泡沫視された真理党がまともに選挙報道されたことはなかった。しかし、この差別は泡沫候補全般に対するもので、特に真理党を狙ったわけではない)。
この惨敗の結果、麻原は武力による権力奪取の必要性を感じ、「今回の衆院選は、私のマハーヤーナの救済のテストケースだった。その結果、マハーヤーナでは救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく[16]」として、兵器開発を急ぐなどその後の教団がより一層凶暴化したとされる(ただし麻原の犯罪肯定説法は選挙以前から行われている)[17]。早速麻原は無差別テロを計画し、石垣島セミナーを実行することとなった。
一方、被害対策弁護団は麻原が立候補した東京4区の杉並区内の一軒家に100人以上の住民票を集めているなど、居住もしていない住所で選挙権を得たとして、公選法違反で警視庁に告発するが、不受理となった。
注釈
出典
- ^ 『オウム解体』宮崎学vs上祐史浩(雷韻出版 2000年5月1日)
- ^ a b c 『「オウム真理教」追跡2200日』p.114-121。
- ^ 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録3』 p.48
- ^ 佐木隆三『大義なきテロリスト オウム法廷の16被告』
- ^ オウム出版『マハーヤーナNo.27』 p.149
- ^ 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.500-517「麻原説法の途方もない罪」。
- ^ 余は如何にして東京都知事候補となりし乎(その8)|外山恒一|note
- ^ 外山恒一「I CAN FLY」
- ^ オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 第四章p.5 浄土真宗大谷派円光寺
- ^ 島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、2001年)
- ^ 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所
- ^ 上祐総括:オウム入信から現在まで | オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- ひかりの輪
- ^ 野田成人著『革命か戦争か』(サイゾー 2010年)
- ^ 降幡賢一『オウム法廷8』 p.50
- ^ 【6】「1990年(平成2年)」 | 1.『オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括』 | 団体総括(本編) | オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- ひかりの輪
- ^ 浄土真宗 円光寺「オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記」
- ^ 渡邉学『南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について』 2009年 南山宗教文化研究所 p.14
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