生神女庇護聖堂 (ネルリ河畔) 生神女庇護聖堂 (ネルリ河畔)の概要

生神女庇護聖堂 (ネルリ河畔)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 11:52 UTC 版)

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教会はボゴリュボヴォの、ネルリ川とクリャージマ川の合流点にあり、古都ウラジーミルの13キロ北東に位置する。

戦死した自身の息子を弔うためにアンドレイ・ボゴリュブスキーによって1165年に建築を依頼されたこの聖堂は、アンドレイの石造の城と回廊によって連結されていた。この建築物は白い石によって建てられ、1つのドームを持ち、内部には4つの柱がある。外見をよりスレンダーにみせるために意図的に建築面積を小さくしているため、奉神礼の実行にはやや狭くて暗い内部空間となっている。

長い年月にわたり、この記念碑的教会はボゴリュボヴォの宮殿を訪れる人々を迎え入れてきた。春には、かつてはこの地域は洪水に見舞われ、教会は洪水の水に浮かぶかのような姿を呈した。回廊は取り壊されドームの形は僅かに作り変えられたが、教会自体は手を付けられずに後世に残った。壁は今でも12世紀の彫刻によって覆われている。

1992年には、ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。

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座標: 北緯56度11分45秒 東経40度33分44秒 / 北緯56.19583度 東経40.56222度 / 56.19583; 40.56222




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